源氏物語を読みたい80代母のために 16
まだまだお籠りが続く今日この頃ですが、ピークアウトまであと少し、辛抱いたしましょう。三回目のワクチンもどんどん進んでいるようで、ウチの家族も一人打って来ました。私が打てるのは三月かな。とりあえずオリンピックも始まったし、またテレビっ子と化す予定。頑張れニッポン!
さて、母ですが元気にやっているようです。目の具合も上々、仕事との兼ね合いも考えつつボチボチ読み進め、宇治十帖1巻があと数ページ。ちょうど「橋姫」巻の辺り、薫が宇治の八の宮とその姉妹に出会って足しげく通い始めるところです。
まあ相変わらずのおさ子テキトー翻案訳なので、右近ちゃん侍従ちゃんなどの女房ズに入れ替わり立ち替わり語ってもらってますが、ここに来てガッツリ本格長編小説の体となり、どうしても一人だけの「語り」ではハマらない箇所が多く出て来ました。橋本治さんの「窯変」では宇治十帖全体が女房の語りとなってますが、密度が濃いのなんのって……これもう橋本さんだからこそ書けたんだと思う(私にはむりー)。それというのも個々の心情描写が非常に多いんですよね。登場人物の内面にふかーく突っ込んでいってます。
情報量が多いのって書いてる方はメチャクチャ面白いんですが、読む方はもしかしたら大変かもしれない……ということを肝に銘じつつ、後少し頑張ろうと思います。
母曰く、未だに
「これは本当にこういう話なの?こう書いてあるの?本当に?」
って気持ちになるようです。今から千年以上昔の話とは到底思えないと。
女房ズのお喋りは書いてない!(笑)けど、ストーリーは改変してない、ほぼこの通りだよ、といつも答えてますが、どうにも腑に落ちないようで。というより不思議でたまらないんでしょうね。こんな大昔に書かれた話が「理解できる」ということ自体が。私も時々ものすごく紫式部さんを身近に感じて、背中がぞくぞくっとします。
特にこの宇治十帖はのっけからリアリティ炸裂です。ここで描かれる、受領と上達部(上流貴族)との間にある越えられない壁―――実際に「上流」に属する人たちはどう思ったでしょうか。物語の読者という、ある意味「誰もが平等」な立場に置かれたことで、自らの立ち位置、下々からどのように見えるか、が恐ろしいほどクリアに見えたんじゃないでしょうか。権力者からしたらはなはだ都合の悪そうな、危険な本と思われかねない気もしますが、あくまでフィクションであり「恋愛もの」という体を取ったこと・とにかく大長編で全部読むのに時間がかかること、で煙に巻けたか?
一番にはやはり紫式部の絶妙なバランス感覚でしょう。リアルに肉薄しつつもちゃんとフィクションとしてのエンタメ性もあり、各方面から怒られないギリギリを攻めていく。
押しつけない、偏らない、導かない。
ただそのままを描く。
およそものを創る人には不可欠のこの姿勢、見習いたいものです。
現在「もの書く日々」にて「ひかるのきみ」「宇治十帖」連載中。
二月現在、「浮舟」巻に突入♪
BCCKSで電子書籍もつくってます。ブログ記事を若干改変・加筆などして、あとがきもつけております。ご興味があればこちらへ。
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「文字として何かを残していくこと」の意味を考えつつ日々書いています。