源氏物語を読みたい80代母のために 24(源氏物語アカデミーレポ⑤)
舟津神社の後はお昼前にもうひとつ講義(画像はないので表紙を大瀧神社境内にしてみた)。
「平安時代の神祇制度」橋本政宣氏
会場の越前市文化センターは、私にとっても懐かしい場所。高校の文化祭の文化部発表会に使われてたし、姪の吹奏楽部卒業演奏会にも行った。改装や修繕は勿論しているだろうけど、変わらない佇まいがちょっと嬉しかった。
さて、橋本氏である。
しつこいようだが、
「舟津神社本殿再建の立役者でありすべてを記録に残し後世に伝えた」橋本筑前守政恒の子孫にして現舟津神社の宮司、かつ東大名誉教授でいらっしゃる。
……ちょっと待って母。この方と直々にお話ししたの?!
「えーどやったかな。ずーっと前やったしわからん。息子さんの方かも??」
うろ覚えかーい。にしても、地元に根付いてる伝統工芸士の顔の広さは半端ない。
それはともかくいつもの
「皆さまよくご存知かとは思いますが」
の枕詞つきで「延喜式」の説明が始まる。
「延喜式」。歴史系の本を読むと大抵出て来るコレ、うっすらぼんやりとした理解しかなかった私なので何もかもが新鮮です、はい。
律令と公地公民政策による国の統治が始まって以降、平安時代は神祇制度が最も整った時期とのこと。
701年の大宝律令にて神祇官と太政官が設けられ、757年の養老律令にて古代日本の政治体制の基本が完成。平安時代には「弘仁」「貞観」「延喜」の三大格式(きゃくしき)が出来た。
※「格」は追加法令、「式」は施工細目(レジメより)。
要するに中央集権の法治国家としての日本がこの辺りからはじまった、ということかな。現代でいう「格式」(かくしき)も元はここからの発想なんだろうけど、読み方も含めだいぶスケールが違う。
先ほど訪れた舟津神社は「丹津(につ)神社」という名で「延喜式」の神名帳にしっかり載っている。同じ今立郡十四座(座は神様を数える単位)の中には岡太神社の名も(=大瀧神社)。岡本神社の名も(今の岡太神社が論社※のひとつとされている:2023/7/25訂正)。「今立郡」という名がこれほど古くからあるのにちょっと驚いた。私が子供の頃には「今立郡今立町」がまだ存在していたが、市町村統合により「越前市」となり消えてしまった。武生という名すら今はもう駅にしか残ってない。うーん、どうなのそれ。
などと頭がよそに行ってる場合ではない。
これ自体物凄い規模の公共事業だ。全国の神社と座を数え、分類し、格付けをし、公的文書に記録する。この区分けが明治維新まで連綿と続いていったという。
廃仏毀釈時にゴチャゴチャになっちゃったのはちょっと惜しいんじゃないかなあ、うーん。
などとまたまた思っていたら、実はこの社格付けも徐々に廃れて忘れられていたのを、国学が発展した時に掘り出して復活させたようだ。ん?とするとあのマメ男の橋本宮司って……(1761-1838)で、本殿造営が1816から。なるほどドンぴしゃりだ。歴史は何もかも繋がってるんだなあ。必ず「これはどういういわれがあってどういう根拠でここにあるのか」って探りたくなる人・「じゃあ守って継いでいかなきゃじゃん!」って思う人が何代かごとに出て来るんだね。
越前というところは昔から神様が多いところだったらしく、延喜式の北陸道諸国式内社数の表(レジメ)によれば神座数は352座中126座、名神大社14社中8社、小社338中118社とダントツ。「名神社」というのは全国の官社中で朝廷から特に重視された神社らしいが、それも越前では二社八座という多さ。今では数が減ってしまって新潟に負けているらしいが、当時の威勢はうかがえる。
一代一度という大神宝使の派遣や、最も皇室と関わりの深いとされる二十二社の制定、官人に位階を授けるのと同じように神に官位と勲位を授与する「神階受位」により神社の格付けが一層明確になって、地方の隅々にまで帝の権威が行き渡っていた、のが平安時代ということか。よって派遣された国司も最優先の任務として「神拝」をおこなったと。ただ多くの神社を全て回るのは大変なので、様々な神様をまとめて祀って「総社」とし、そこに参拝すれば〇社分!というシステムがあちこちに出来たらしい。
平安時代の越前国は「大国」であった。神社も当然沢山あった。とりわけ武生駅の近くには「おそんじゃさん」の愛称で親しまれる
「越前国総社 総社大神宮」
がある。紫式部も父・為時とともに此方にはきっと参拝したんじゃなかろうか。
つくづく思ったが「日本は神の国」と発言して批判された政治家がいたけど、その通りじゃない?日本は神の国だよね間違いなく。昔も今も。
今回もきっと詳細にやったら前期終わる系の量と内容で、糖分使って頭フラフラ。配られた昼食のお弁当をパクつきながら母に感想を聞いてみたら、
「そうじゃ、って総社と書くのが本当なんやね。惣社のほうが古いんかと思ってた」
なるほど。
後で調べたら「惣」は室町時代の地域的自治組織の総称であるという(コトバンク)。
実家の辺りは仏教が盛んで、一向一揆の戦場も近くにあるお土地柄。長年、地元の寺社仏閣に関わって来た母のような人がそういう感覚を持っている、というのは興味深い。これで一本論文かけそう(かけない誰か書いて)。
ということでようやく二日目午前中、終了。
<まだまだつづく>
※論社:延喜式に記載された神社と同一もしくはその後裔とされる神社のこと。
「文字として何かを残していくこと」の意味を考えつつ日々書いています。