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源氏物語を読みたい80代母のために 10
ちょっと(だいぶ)間が空いてしまいましたが、ついにこのマガジンも記事10個目。母も多忙ながら「ひかるのきみ 捌(8)」(胡蝶~行幸)をのんびり読んでいるようです。ブログ連載もついに「藤裏葉」終わり「若菜上」に入るところ!そろそろ怒涛の後半に突入、一抹の寂しさを覚えたりなんぞしています(早すぎ)。
母が、まさかここまで順調にほぼ一か月一冊ペースで読み通していけるとは。年齢考えると本気で凄い。もうすぐ「玉鬘十帖」終わるもんね。で、そこで出て来た母の疑問。私は一体どうやって「翻訳」しているのか。原文を読んで・さまざまな翻訳とか解説書とか見て参考にして・現代人にもわかりやすくを心がけて書いてるんだよ♪と再三言ってるものの、今一つ、どう考えていいのかわからないらしい。なるほど……そこに興味が来ましたか。
少し前に、ブログ記事から本に起こすときに入れた直しを公開しよっかななどと口走っていた気がしますが、それよりもむしろ原文からどう起こしているかを書いてみます。
と思って「ひかるのきみ 壱」を見返してみたら……まず説明から入ってるから意訳どころか別物に……てか勢いが凄すぎて我ながら引く……今とは全然書き方が違ってます。若かったわ私。
※原文:「源氏物語の世界」渋谷栄一さまのサイトより引用。
「帚木」雨夜の品定めの冒頭:光源氏の手紙を頭中将が見るシーン。
1)近き御厨子なる色々の紙なる文どもを引き出でて、中将わりなくゆかしがれば、
→「ヒカル、これ見てもいい?」ヒカルが女子に貰った色とりどりの文に目を通していると、横から覗き込んでこう言う。
※「わりなくゆかしがる」は「むやみやたらに見たがる、知りたがる」ことなので、動作をつけてみました。横から覗きこんで見ていーい?ってそれもう見てますよね、って感じですね。
2)〔源氏〕「さりぬべき、すこしは見せむ。かたはなるべきもこそ」
と、許したまはねば、
→「これとこれと、これならいいですよ。そっちはちょっと……NGです(笑)」
※「かたはなり:片端なり」は不都合だ、みっともない、という意味です。見られたくない不都合なものもあるからね(勝手に見ないでね)、といったニュアンスかなと。
3)〔頭中将〕「そのうちとけてかたはらいたしと思されむこそゆかしけれ。おしなべたるおほかたのは、数ならねど、程々につけて、書き交はしつつも見はべりなむ。おのがじし、恨めしき折々、待ち顔ならむ夕暮れなどのこそ、見所はあらめ」
→ちっちっち、と頭中将が指を振る。「その、NGってやつが見たいんだよヒカルちゃん。無難なやつ見てもつまんないじゃん。うわちょっとマジありえないわ、ヤバくて人に見せらんねぇってやつじゃないと見る価値無し」
※「うちとけて」は堅苦しくなく、普段通りにの意。「かたはらいたし」はきまり悪い、気恥ずかしいの意。全体としては、ただの無難なやり取りはいらない、逢うだの逢わないだのってお互いの気持ちに踏み込んだやつが見たい!ってニュアンスなんですが、後半はかなり砕けさせました。
4) と怨ずれば、やむごとなくせちに隠したまふべきなどは、かやうにおほぞうなる御厨子などにうち置き散らしたまふべくもあらず、深くとり置きたまふべかめれば、二の町の心安きなるべし。
→「……(おいおい)」まあいいか、本気でまずいのは此処には置いてないし、と源氏は思い直し文の束を全部渡す。
※「おほぞうなる」ありふれたの意。こんな人が出入りするような場に持ち込んだ適当な入れ物なんかに、大事な手紙を置きっぱなしにするわけもないよね、二の町、つまり二流の、「心安き」誰に見られても平気な、大したことないものばかり、ということです。
5)片端づつ見るに、「かくさまざまなる物どもこそはべりけれ」とて、心あてに「それか、かれか」など問ふなかに、言ひ当つるもあり、もて離れたることをも思ひ寄せて疑ふも、をかしと思せど、言少なにてとかく紛らはしつつ、とり隠したまひつ。
→「そうこなくっちゃ」頭の中将は楽しげに物色しはじめる。「おっこれ、いいじゃん。紙の選び方とか墨の濃淡とか、センスが出るよね。わかった、○少納言だろ!これは……んー、わからんな。△式部?」ヒカルは笑って誤魔化す。
※頭中将がアレコレ推量していう事が当たっているものもあり、全くの勘違いもあり、だけどヒカルは全て真偽を明らかにせず誤魔化した、というところです。当初は「メール」としていたんですが、やはり紙に筆で書く文とは気にするところが全く違いますので、訳もそのようにしました。
初めの方なので十年くらい前ですが、超絶砕けた訳ですね……実にいたたまれません。まさに「かたはらいたし」な心境にございます。ただこの内容、まだ十代後半のヒカルと頭中将の会話って、今その辺で聞いたとしても違和感なくないですか?まあ、手紙を見たがるっていうシチュエーション自体は若者にはなかなか無いかもしれませんが。
「雨夜の品定め」ってつまり「とある平安貴族のボーイズトーク」なんですよね。男だけの場でする話題がどのようなものか、紫式部が直接耳にしたのか伝聞なのかはわかりませんが、克明に、詳細に面白おかしく描いている。録音機器もない時代、当時の会話やその場の雰囲気が、フィクションの世界とはいえはっきりと残っている。いや、フィクションだからこそ遠慮なく生き生きと書けるんですよね。本当に感心したことを覚えています。あれ?現代人にもわかるように!って気張らなくても、原文に書いてある通りの内容にちょい補足したら、そこそこいけるんじゃない?!とも思いました。実際は「ちょい」じゃ済まなかったけれども。
で、最近の訳はこんな感じ。
「藤裏葉」夕霧の縁談を耳にして焦った内大臣が、娘の雲居雁との結婚を認める決意をするシーン。
1)大臣も、さこそ心強がりたまひしかど、たけからぬに思しわづらひて、「かの宮にも、さやうに思ひ立ち果てたまひなば、またとかく改め思ひかかづらはむほど、人のためも苦しう、わが御方ざまにも人笑はれに、おのづから軽々しきことやまじらむ。
→あれほど強情だった内大臣も、一転ガックリと思い悩み、「中務宮の件が本決まりになっちゃったら、改めて婿を探さなきゃだよね。でも、明らかに夕霧との仲がダメになったから他をっていう体になるから相手にも申し訳ないし、まずコッチが『何やってんのあそこんち(笑)グズグズしてるうちに横から攫われてバッカじゃないの』って格好の噂の種になるよね……間違いなく。
※「かの宮」は縁談を持ちかけた中務宮のこと。「人」というのは、代わりに探すまだ見ぬ婿およびその親族。「人笑はれ」「軽々しきこと」の説明として『何やってんのあそこんち(笑)~』を書きました。
2)(内大臣の言葉続き)忍ぶとすれど、うちうちのことあやまりも、世に漏りにたるべし。とかく紛らはして、なほ負けぬべきなめり」と、思しなりぬ。
→今更隠そうにも、そもそもの事の初めも既に漏れだしちゃってるからどうにもなんない。やっぱり此方から折れて、破れかぶれの世間体を繕うしかないよね……うん」遂に心を決めた。
※割とそのまんまですね。「うちうちのことあやまり(内々の事誤り)」は「乙女」を読んでいる人ならわかるので「事の初め」としました。もっと良い言い方があったかもしれないなあ。最後の文も「世間体をどうにか繕うには、こちらから折れるしかないなあ」でよかったかも。
さすがに「帚木」の時のような破天荒さはありませんね。あのテンションでずっといくには年齢的にキツかった(笑)のと、訳していくうちに「やっぱり原文からあんまりかけ離れるべきではないのでは?」「というか原文すごい!何も省略したくない!」とひしひし実感することが増えて来て、徐々にこうなっていきました。それでも相当アレンジは加えてるので、いわゆる意訳本、翻案本と呼ばれるジャンルには違いないですね。
源氏物語を読み続けるために何が必要?
こうして比べてみると、原文がいたってシンプルなのがよくわかります。当時は紙に手書きでしたし、読者も限定されていましたし、誰にでもわかるような事の説明は極力省いたでしょう。なので、当時であっても宮中や貴族の生活をよく知らない人なら、理解の難しいところは多々あったと思います。まして現代人がいきなり読んでもわからないのは当たり前です。
まず登場人物を把握するだけでひと苦労です。呼び名は殆ど官職名だけなので重複もあるし、途中で変わったりする。女房の名前なんて中将さん何人出て来るのかと。さらに主語も無いことが多いから、誰が誰に何を言ってるかは文脈と、敬語の有無と方向で判断するしかない。だからといって、古文の授業でやったように直訳してしまうと、一種独特の珍妙な、とてつもなく読みにくい日本語となり果てる。せっかく興味を抱いて読んでみよう!となった人が挫折してしまうのは、如何にも勿体ないと思うんですよね。
どうしたって原文が書かれた時代を完璧に理解することはできないし、まして作者の真意を知る術はありません。現代に生きる私としては、自分なりの理解で解釈した内容を今使える言葉や言い回しで書くことしかできない。書けば書くほど、ますます自分の理解の浅さを思い知らされるばかりでゴールが全く見えない。おそらく全部書き終わっても無理な気がします。ただただ、好きという気持ちだけで読んで、書いています。
でも別にそれでいいと思うんですよね。小説は読まれないと、愛されないと残っていかない。千年を超える長きに渡り読み継がれ、山ほどの学術本や解説本、訳本、二次創作本、漫画、アニメや映画などを生み出してきた源氏物語は、とてつもなく懐の深い超大作。「源氏物語」に関わることは、この大河の一滴に自分自身もなるということです。胸熱じゃないですか!
母がんばれ。私もがんばれ。
というわけで、本年も「ひかるのきみ」をよろしくお願いいたします!
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