89.針さし
Iさんは小さい頃から「こわい話」が大好きで、沢山本を読んでいた。
「その中でもすごい異様な話があってさ。といっても内容はうろ覚えなんだけど、とあるワンフレーズが強烈に印象に残ってて」
いつの時代の話なのかはわからない。よくある、いくつかの怪談をまとめた本に載っていた。
「市場できれいな針さしを買った若い娘が、それ以来ずっと同じ女の子が夢に出てくるようになってね。痩せこけたざんばら髪の七、八歳くらいの女の子。あまりにも不思議だったから、夢の中でその女の子にどうして自分のところに出てくるのか聞いてみたんだって。そしたら」
……あなたの家の針さしに、わたしの髪の毛が……
その女の子は継母に虐め殺されて沼に沈められた。女の子の着物や僅かな持ち物とともに売り飛ばされた髪は、針さしに加工され巡り巡って娘の手元に来ることになった、という。
娘は針さしを寺に持っていきねんごろに供養してもらった。
ところが、それで終わりではなかった。
「また夢に出て来たんだよね、その子が」
哀し気な表情の女の子が、しきりにざんばら髪を触っている。
娘は寺の住職を連れて例の沼へ出かけた。持参した子供用の着物に自分自身の長い髪をひと房切って乗せ、水に浮かべた。住職がお経を上げ娘が手を合わせると、着物と髪はすうっと吸い込まれるように沈んでいった。
「話自体はよくあるパターンなんだけど、とにかく『針さし』が衝撃でね。なんで針さし?髪の毛入れるって何?ってなって」
当時小学生だったIさん、あまりにも不可解だったので母親に聞いた。
「そうね、昔は自分ちで手作りしてたからそういうのもあったかな。髪は腐らないし油分もあって針も錆びにくいの」
説明を聞いてIさんはなるほどと納得はしたものの、何とも言えずモヤモヤが残った。幼い継子をそこまで憎む継母も、実子なのに庇ってもやらなかった父親も冷酷すぎるし、何より、それと知らずに死んだ子の髪入りの針さしを買ってしまうというシチュエーション自体薄気味が悪い。
「まあ現代じゃそんなことありえないよね、そもそも本当にあった話かどうかもわかんないしって自分に言い聞かせて、暫く忘れてたんだけど」
家庭科の宿題が出た日、家にあった年代物の裁縫箱を持ち出したIさんは奇妙なものを見つけた。
フェルトで手作りしたような小さな針さし。
(こんなの前からあったっけ?)
ピンクや水色や黄色といった色合いこそファンシーだが、煤けてしまっていて如何にもみすぼらしい。手に取ってみると、あまり中身が入っている感じはしないのにフカフカしていた。試しに待ち針を数本刺してみたが一応普通に使えるようだ。ただ少し小さすぎるのと古ぼけて薄汚れていたので、他のにしようと思い待ち針を全部一気に抜いた。
「うわっ……」
針を抜いた穴から黒々とした髪がスっ、と飛び出た。よく見るとフェルトの縫い目からも何本かはみ出している。
「おかあさん、おかあさーん!」
Iさんは半泣きで母親のもとに走った。
「嫌ね、誰が作ったんだろう。私じゃないわよ」
母親は針さしを摘まみ上げつつ言った。
「やめてよ……怖いじゃん」
「そんな、泣かなくても。きっとお祖母ちゃんよ」
祖母は数年前に他界している。
「え、じゃあ誰の髪なのこれ」
「わかんないけど……古そうだし汚れてるから捨てておくわね」
母親は針さしをどこかに持ち去った。
「その後私の夢枕に誰か立った、なんてことは勿論なかったんだけど」
Iさんはちょっと笑いながら、
「あの針さしに誰の髪が入ってたかはずっと気になってる。だから忘れられないんだろうね、『あなたの家の針さしに、わたしの髪の毛が』というフレーズが」
最後は真顔になった。