「当麻」(小林秀雄著)について
美しい「花」がある、「花」の美しさという様なものはない。
小林秀雄の小文「当麻」を読んだ時、この一文が頭から離れなくなった。
文としては簡単なものだ。
けれど、考えれば考えるほどに余計わからなくなってくる文でもある。
主に能について書かれた一文なので、「秘すれば花なり。秘せずば花なるべからず」といった世阿弥の花伝書の言葉を下敷きにしているのはわかる。
けれど、それが理解の助けになるかというと、むしろ逆でより深い森の中へ彷徨いこんでしまったような心持ちになる。
別にひとつ、道標となりそうな一文がある。
同じ小林秀雄の講演録「歴史の魂」にある一節だ。
そこでは、歴史について以下のように記されている。
「歴史の本当の魂は、僕らの解釈だとか、批判だとかそういうようなものを拒絶するところにある」
「我々の解釈、批判を拒絶して動じないものが美なのだ。本当の美しいものはそういうものなのだ。吾々の解釈で以てどうにでもなるようなものは本当の美じゃない」
「本当の美しい形というものが、歴史のうちには厳然としてあって、それは解釈しようが、批判しようが、びくともしない」
歴史と花と、対象に違いはある。
けれど小林秀雄が、美しい「花」がある、「花」の美しさという様なものはない、と書いた時に胸にあったのは同じ感覚ではなかったか。
こう書いて来て、思う。
美しい「花」について、必死にそれを読み解こうとするのは、びくともしない壁に何度も何度も体当たりするようなものではないのかと。
だから、これ以上は書けないし、書く必要もないと思った。
というか、書けなくなってしまった。
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