元カレの結婚におめでとうが言える女の子になんてなれなくていいから
読書した後、低気圧に襲われて眠っていました。
欠点が見当たらないことが唯一欠点でありたい
そうなると、周りの人間は私の欠点をくまなくさがします
『低血圧、自律神経失調症、抑うつ』
それを知ると、水を得た魚のように突き始めます
なんで、外出前にお腹が痛くなるの?
なんで、ケータイが待てないほど意識が遠のくの?
なんで、幸せそうなのに死にたいの?
etc…..
私の希死念慮がBUCK-TICKの櫻井さんの後追いであり、本の読み過ぎで気が沈んでいるということに可愛家の意見は一致(?)
「(いつの時代の話をしているの?!
Xのメンバーが逝去された時のニュースでメディアの知識がとまってるんじゃないの?
BUCK-TICKのことも少しは調べた?そもそも、私はベースの樋口さん(寄りの箱)推しだって話したじゃん!
悲しくてお別れを言わないために献花も行かなかったことも知らないはずなのに)」
幼い頃
勉強ができないのはDSのやりすぎだ
勉強が嫌いなのはテレビの見過ぎだ
DSは没収され、撮り溜めたDVDは捨てられ、テレビカードは抜かれ、ある日はバレエが下手くそだと発表会の帰りに怒られました
抱えたたくさんの花束と不釣り合いなその説教はより私の心に影を落としました
原因はいつも私の娯楽のせいだと決めつけられ奪われて来ました
そんな中、本だけは唯一許された娯楽で私の頼み綱です
本は人生で得られなかったヒントをたくさん教えてくれて、現実と繋いでくれるものです。
親の前で読んでいても怒られない唯一の娯楽
親元をたって、趣味が薄れて来てしまった時に出逢ったBUCK-TICKは私の楽しみの一つでした。配信とDVDを見たり、アルバムを聴くのが思春期の頃の高揚感に連れて行ってくれるようで堪らなく楽しいです。
私はもう自分の好きなものを冒涜するものを赦さない。
それが例え肉親であっても
数日前、真夜中に居ても立っても居られずに親から借りた本を持って雨の中実家にズンズンと向かい、自転車のカゴにまとめて借りた本たちを突っ込みました。
信教の自由が認められるこの国では、どんな本でも誰かにとってもバイブルなのにそれを侮辱する者の聖典は受け取れない。
本に罪はない
でも、私の心はズタズタに切り裂かれてしまった
本を冒涜する者と思想の共有は不可能
朝方前に帰って来て、それでもなんだか心のモヤが晴れなかったので、着ていた上着もゴミ捨て場に捨てて帰りました
左様ならは潔く別れるための儀式なのだから、未練があるうちは左様ならなんて言わない方がいいですよ
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