本と私
ものごころついたときから、いや、自意識が芽生える前から本というものが人間の生活の一部だと認識していた。
私の住んでいたマンションにはどこかの部屋に必ず本棚があって、リビングには親の読み進めている文庫本が静かに佇んでいた。
ゲームやテレビに対して前向きな印象を持たない親元で育ったから、受け入れてもらえる娯楽を自分で探したのかはたまた文字に触れる前から読書は面白いと認識していたのかは分からない。
学業と習い事で休む暇が殆どなかった小学生時代、休みができたら図書館に出向いた。
そこには色とりどりの表紙があって、フィクション、ノンフィクション、図鑑、エッセイ…ありとあらゆる小さな私の知らない世界が広がっていてワクワクした。
何時間でもいたかった。読むのは家で読むのに、どの世界を自分のまっさらな世界に持ち込むか選ぶ時間が足りなかった。
放課後、書店に連れて行ってもらい、読書の時間や休み時間に読める本をおすすめしてもらいながら大量に買ってもらったことが嬉しくて今でも覚えている。
小学生の頃はミステリーが好きだった。特に読んでいたのは親のおすすめからすっかりハマってしまった赤川次郎先生の作品。
中学生に上がる頃になると誰に言われたわけでもなく、自ら面白そうな本や作家さんを探すことに熱中した。
中学一年生の頃の担任の先生が幸い国語の先生で、ホームルームで何冊か紹介した後、教室の後ろにたくさんの本を置いてくれていた。
先生のプレゼンが上手だったため、おすすめの本はいつも読んだ。そうして、読み終わるとおそらく先生の趣味であろう東野圭吾先生の本がたくさん置いてあったためそれらも片っ端から読んだ。
朝読書の時間、休み時間、放課後、
数分でも手が開けばそれは本を持つ時間を肥やす時間に変わった。
いつしか、自分は耽美主義の作品が好きだと一気に系統が定まった時に図書館、地元の書店では江戸川乱歩、谷崎潤一郎、三島由紀夫、嶽本野ばら、そうして、ここまで読んだのなら最新刊まで全部読もうと追い続けた東野圭吾の作品を読んだ。
系統が定まったのは自分が惹かれる世界に名前がついていたから。
小学生の頃、親の本棚で見つけた「血と薔薇」を開いた瞬間、私の興味がどこにあるか一気に導いてくれたのだ。
日常は本当に退屈だった。だからといって、非日常的なアクシデントが起きるわけでもなく、いつも勉強や習い事、大人の顔色に緊張して小さな世界に閉じこもっているのが怖かった。
だから、普通に生きていたら見られない世界を一気にたくさん見たかった。アンダーグラウンドな芸術は私の生きるクリーンすぎる世界の真反対にあった。
本当に生きている世界が狭くて、視野も狭かったから、親の目を盗んでテレビを見て、友人から貰った雑誌を読んで、ラジオを聴いて、メインカルチャーのものは舐め回すように吸収した。
それでも退屈には変わりなかった。好奇心が人一倍強くてこの世界のまだ知られていない文化にどんどん足を踏み入れたくなった。
早く大人になって自由になりたい。
大人が自由な生き物だなんて決めつけていいのかもわからないくらい未来のことなんてわからなかった。
だから、純小説をたくさん読んだ。
もしタイムスリップのミスで戻ってしまったらすぐさま舌を噛んで死ぬであろう高校受験の時期の数少ない娯楽は読書であった。
ほんとうにずっと部屋に閉じこもっていたからこの暗い一室を照らす小さな希望として、この頃読んだ本は人生の中でも印象深い。
江國香織、唯川恵、三浦しをん、金原ひとみ。
大人になったら、夜の街を闊歩しながら人生を紡いで、たくさんの出会いと別れに触発されて、予想もしていなかったアクシデントに痛むのだろう。
きっとこの本たちこそが人々が歩んでいく人生の模範なのだ。そう信じて疑わなかった。
人生はなるようになっていく。
いや、現実は小説より奇なり?そんな言葉が頭に浮かぶようになったのは高校生に上がってから自由を手にした時からだった。
小説には書いていなかったことが次々起こっていく。
アクシデントの痛みもダイレクトに受ける。
今度は現実の苦しみから逃れるヒントを逆に本から探そうとした。
自分の現在進行形と重なる物語を探して読んでいった。
本は私の共感者となった。
初めて本を読んでから高校を卒業するまで、何冊の本に触れたかは数えきれないくらいだ。
成人する頃、本の世界より現実世界に熱中し始めて、この現実を越えるものを今度は求め始めたころに出会ったのが電波系書籍。
エスケープ、共感、エスケープ。
わがままに本を求めた。
ここから先は
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?