「死」は救済なのか
「死」は救済なのか。
ふと、そんなことを考えてしまうことがある。
世界において、尊厳死や安薬死が存在する。まるで、死が人間を救済することができるというような言い分に感じてしまう。
※尊厳死とは、延命治療を施さずに自然な最期を迎えること。
安楽死とは、為的に寿命を短くさせること。
尊厳死や安楽死は、人々を救う一つであることは認める。
しかし、尊厳死や安楽死を選択する患者は「生」への欲はないのかと疑問に感じてしまう。
私は、何回か自殺をしようとしたが全て自殺未遂で終わってしまった。
その理由は、「生」に未練があったのだ。
この世に未練などないと感じていたはずなのに、体は「生」に執着していたのだ。
「生」に未練が残っていたために現在も生きている状態である。
しかし、その体験のおかげで「生」への喜びを人一倍知ることができ、より一層「生」への執着が強くなった。
私は、その体験があるため「死」は救済なのかと考えてしまう。
病気のために、「生」の未練がないのかもしれないし、病気の治療の苦しさから「生」からの脱出をしようとしているのかもしれない。
死後の世界は極楽であるのかはわからない。
この世からの解放が救済につながるのかは人の史観であるため、私は何も言うつもりはない。
死後の世界は精神世界の話であるため、私たちが解明できることではない。
死後の世界は死後の自分に任せるしかないのである。
ただ、私が考えることは「死」は救済であるという概念があるがそれが良い結果につながるのかと考えてしまう。
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