【マルクス限界】欧米の明確なる限界と日本の可能性
欧米人には明確な限界がある。
それは「世界を創ることが出来ない」ということだ。
マルクス限界
一神教において、世界はカミによって創造されたものである。
したがって、世界を人間が創ることは許されない。
だから一神教徒には世界を創るという発想がない。
例えば、
カール・マルクスの墓碑銘にこう書かれているではないか。
例えば、
スティーブ・ジョブズがペプシコーラから重役を引き抜いた際のセリフはこうだったではないか。
彼ら一神教徒には世界を変えるという発想はあっても、世界を創るという発想はない。
世界を創るという行為は一神教において禁忌だからだ。
だから、彼ら彼女らの言葉にはどこか迫力が欠けている。
一神教世界では改革者や変革者は現れても、創造者は決して現れないのだ。
IT革命によって世界が大きく変わったと言われている。
その通りだ。
世界は変わった。
ただし変わっただけに過ぎない。
本来、IT革命というものは新たな世界を1つ以上創るだけの力がある。
だが彼らは世界を変えるというパラダイムに囚われて、変革にとどまっている。
ろくに創造されてもいない世界を変革している。
日本はその間、失われた30年で身動きがつかなかった。
しかし日本人の呪縛は経済的・政治的・地政学的なものに過ぎない。
たかだか横田米軍基地から国家中枢たる皇居と霞ヶ関とおまけで永田町を人質に取られているだけに過ぎない。
一神教徒の精神中枢に課された呪縛に比べれば大したものではない。
IT革命という世界創造の千載一遇のチャンス。
それなのに一神教徒たちは変革でお茶を濁してくれた。
おかげで日本は完全な落伍者とならずに済んでいる。
日本人のエスタブリッシュ並びにエリートの多くは次のように思っているはずだ。
だとしたら、それは大きな間違いだ。
その認識は真逆だと言ってもいい。
彼らには明確な限界があるからだ。
宗教的な呪縛というものは簡単にとけるものではない。
すなわち彼らは当面において世界を創ることが出来ない。
変革するところまでが彼らに許されたライン。
ろくにまだ創られてもいない未完成な世界。
彼らはそれを変えることしか出来ないのだ。
我々日本人はそうした一神教の制約とはおよそ無縁のところにいる。
我々は世界をいちから創ることが出来る。
1995年に端を発するIT社会は、
世界をいちから創造することが出来る日本人にとって極めて有利な枠組みなのだ。
我々は、
諦めることはない。
世界を変えることすらもいらない。
我々はただ世界を創るだけでいいのだ。
日本人には心の中からの自由がある。
この自由は一朝でも一夕でも、一世紀かけても手に入るものではない。
すなわち日本人と日本はすこぶる優位な状況にあるのだ。
創造のすゝめ
近現代において、人類は世界を変革してきただけに過ぎない。
本来、人類がなさねばならなかったのは世界を創造することだ。
ところで、
君たちはずっとこのまま世界が変わるのを眺めているだけか?
私と一緒に世界を創ってみる気はないか?🥴
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