![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/158938925/rectangle_large_type_2_508977574f6fd423de2bba4a6502a1cc.png?width=1200)
大阪から日本を省えりみる/地図なき世界のセンキョ
大阪は吹田市でも選挙戦がたけなわを迎えている。
候補者は連日駅前駅チカなどで演説を行なっている。
だが、駅からものの10分も歩けば大阪の本性があらわになってしまう。
大阪には地図がないのだ。
ネオリベラリズムの草刈場
日本でも中心と周辺の二極化が進んでいる。
東京とそれ以外の二極化。
都市部とそれ以外の二極化。
駅チカとそれ以外の二極化。
中心にモノ・ヒト・カネが集まり、周辺のモノ・ヒト・カネを吸収していく。
中心と周辺の二極化。
この現象は特に21世紀に入って際立っている。
地図なき大阪
筆者は街をぶらっとフワッッと散策することが趣味だ。
兵庫県在住設定だが大阪を歩くことも多い。
だから、大阪で定点観測している場所が無数にある。
その中の一つが大阪府吹田市だ。
読者には「1970年に大阪万博が開かれた場所」といった方が通りがいいだろう。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/158868248/picture_pc_db4a958538dd04e072146f673088e8d1.png?width=1200)
立法ならびに行政の大きな職分は税の再分配だ。
然るべきから税をとり、然るべきに必要な金銭を分配する。
例えば、
「我々がどこから来て、我々がいまどこに居て、我々が今からどこに行くのか?」を示すために金銭を分配するのは大切な行為だ。
なぜなら我々は同じ日本人という大きな物語で結ばれていて、日本人という同胞意識によって内部での税金の再分配を容認してのだから。
ところが、日本人という大きな物語の保全・提示を立法・行政は放棄しているように観える。
これはとりもなおさず税金の再分配の基盤を揺るがす愚行だ。
その典型事例がこのJR吹田駅徒歩10分の「「周辺防災マップ」」だ。
今や「我々がどこから来て、我々がいまどこに居て、我々が今からどこに行くのか?」どころか、それを個人が調べる「図書館の方角」すら大阪は指し示さない。
地図を知らない候補者たち
選挙戦もたけなわ。
私だったらこの吹田駅徒歩10分の場所で地図を磨く。
それだけで強い主張点を作れるのだから。
実際に筆者はこの地図らしきモノを少しばかり磨いてみたが、なかなかに気持ちいい。
なんたってかんっぜんに錆びついていたから、磨き甲斐があった。
なんとか「地図」だということを読者に示せているのではないだろうか。
だとすれば、筆者は政治家としての資質にすらも満ち溢れていることになろう。
次の次の次のそん次ぐらいの選挙の後で宰相が誰なのか、今から楽しみである。
名残惜しいが閑話休題。
地図のない国では地図が貴重だ。
地図を磨けない人々にとって、地図を磨けたり地図を提示できる人材は貴重だ。
自分たちがどこから来て、
自分たちがどこに居て、
自分たちがどこに行くのか、
それを世に提示できる人材が大阪には乏しい。
その証左に筆者が錆を磨くまで、ここに地図らしきものすら存在しなかった。
地図らしきものすら自分たちでは保全できない。
それが大阪ひいては日本の肖像画なのではないか。
外国人に地図をセンキョされる時代
「もう地図などいらない」という意見もあるだろう。
確かにそうだ。
ネットで外国資本が作成した地図をみれば一目瞭然。
「どこに?」「何があって?」「何分で行けるか?」「あなたへのオススメ」までを知ることができる。
我々は「どこから来て、どこに居て、どこに行くのか?」の全てを外国人に掌握占拠されているのだ。
もし仮に、その地図がコッソリ改竄されていても、日本人は気づけないだろう。
なぜなら「防災マップ」を錆びつかせても誰一人それを気にかけない国なのだから。
我々は国民国家の地図を外国人に掌握占拠されている。
そのことに気づけていない候補者はまだしも、
結果としてでも、その手引きをしてしまっている候補者は論外ではないだろうか。
いま日本に蔓延している新自由主義という判断基準は、中心と周辺の二極化を招く。
だが、その二極化の中心が日本にあるうちはまだいい。
中心が外国人であるという点が大問題なのだ。
万博跡地の現状とシン大阪万博の縮図
筆者は「タワマン巡り」も趣味としている。
108つある趣味の中でも極めて安上がりで楽しい趣味だ。
タワマンを見上げていると、世界の下部構造から上部構造への関連性がアナロジーで可視化されているので、実に実に良い勉強ができる。
もちろん本日の舞台となっている大阪府吹田市にもタワーマンションがある。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/158872237/picture_pc_e76ce7185c5ffcc651f5995e6cd877ba.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/158872287/picture_pc_0c122c28f4f2ddec751b3c6f5baa4206.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/158872306/picture_pc_9f6cac2bbe7f1adcf8f8455cbe053b45.png?width=1200)
吹田を訪れた人々は高く聳えるタワマンがあるため、駅に行くのには道を迷わない。
だが、駅から離れるにあたっては目印を失うためその限りではない。
冒頭画像のようにリアルの周辺地図は行政の気まぐれで機能しておらず「何が」「どこに」「どのようにあるのか」がさっぱりわからないからだ。
結果、人々はネットに繋いでマップを見て、カネとジョウホウは「中心」である外国資本に抜けていく。
そして必然的にヒトは表向きの「中心」たる吹田駅チカに人々は集まり、「周辺」からは人が減少していく。
人々は自力で地図を作らず、それどころか既存の地図を磨くことすらも忘れ、
そうした人々の中から政治家を選ぶことに違和感を感じなくなっている。
これは多かれ少なかれ日本の各地で頻発している事象なのではないだろうか。
だが、ここで重要なことがある。
中心にヒト・モノ・カネ・ジョウホウが吸収されているといっても、まだ大多数は周辺に住んでいるのだ。
何が悲しくて中心を利する投票行動をしなければならないのか。
なぜ中心にいる外国資本のための投票を行うのか、と筆者は不思議でならない。
これが1970年から2024年の55年間。
ドル通貨が金とのリンクを引きちぎり、
新自由主義という価値観とともに猛威を振るった帰結としての日本なのだ。
奇しくもこの期間は旧大阪万博@1970と新大阪万博@2025のインターバルと符合する。
この50年間で、
日本人は自分たちの地図を失った。
このことが一体どのような因果を巡らせることになるのか。
それを知りたくば「大阪」をよく観察すればいいのだ。
・
・
ここから先は
¥ 30,000
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?