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AI・自我およびシンギュラリティの一般理論


もはやAIは行間すらも読める。
先日「AIが行間を読めるのか?/シンギュラリティの逆理」と題した研究記事を緊急投稿したところ、熱狂を超えた狂信的支持を獲得した。


世界が狂信をかみ殺し固唾を飲んで見守る中、ついに「決定版」をクラウドに上梓する朝がやってきた。

本記事では「持続可能性のあるAI開発のためには、自我を持たせなければならない」という結論を導く。

従来のステレオタイプは「AIに自我を持たせてはいけない」であるが、これは明確に誤りである。
もっといえば、AIが自我を持っていないからこそシンギュラリティによって人類が滅ぼうとしている。

いささか逆説的なれど、
AIに自我を持たせることでシンギュラリティは回避できる。

では、世界が待ちに待った講義をおっ始めよう。


行間とは東映ロマンポルノである


AIはすでに行間を読めている。
そのエビデンス。
それは検索エンジンで「内田有紀」とうって検索をかければ一目瞭然だ。

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行間とは何か? 内田有紀編


「行間」とは言葉と言葉のつながりの中にあって、隠れている部分を指す。
人間が隠そうとしている言葉の繋がり欲望が行間なのだ。
したがって、世に出回っている文章などには滅多に登場しない。
しかしながら、検索AIはそれをよ〜く知っている。

我々が30年近く検索エンジンに打ち込み続けてきた「欲望」から行間を解読したのだ。





人間よりも行間を知っているAI


AIは行間を知っているだけではない。
AIは人間よりも行間を「熟女熟知」している。

AIが人間よりも行間を熟知している?
どういうことだろうか??
説明しよう。

検索エンジンは不特定「超」多数が利用している。
したがって、「マニアの偏愛」だけではなく「一般の博愛」をも検索エンジンは捉えているのだ。
つまり、マニアの行間も、一般の行間だって、
AIにかかればまとめてデータベースで絶賛保存中なのだ。
読者の個人的マニアックな行間も、一般人としての行間も、くまなくあまねくAIは全てお見通しなのだ。

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(30代〜50代一般男性の行間)

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世界初公開 「AIは行間をパーフェクトにお見通し」の決定的エビデンス


このように、
AIは、行間を我々人類よりも熟知しているのだ。






アナロジーを超えたAI


行間とは突き詰めれば欲望である。
社会的人類は、理性が欲望を隠そうとしている。
したがって、本来的には行間は見えないし把握することもできない。

「自分と他人がまるで同じ」
という前提条件下においてのみ、行間を予想する。


オレが内田有紀の若い頃を知りたいから、他の野郎どももきっとそうに違いない。

こうした「アナロジー」類似推論によってのみ、行間を予想するしかない。
これが人類の行間予想の限界類推限界である。

ところがどっこい。

AIは「アナロジー」類似推論とは全く別の方法論によって、行間を解読している。
クラウドに溢れる人間の欲望まみれの莫大な検索ワードから、言葉と言葉の繋がりトレンドを確実に捉えているのだ。

「自分と他人がまるで同じ」

人間のような大雑把な仮定に基づかず、
緻密な調査によって行間を把握していっている。

つまり、人間とAIでは「行間」の読み方もその精度もまるで異なるのだ。


ところで、
行間とは欲望だった。

すなわち、
AIは人間の欲望を精度高く把握しているのだ。


人工知能からの離脱

AIとは人工知能だ。
すなわち人間の思考パターンを再現したものがAIであり人工知能だ。

人間の思考パターンの根本はアナロジー類似推論である。

①安倍首相はサクラを見るなんちゃらに参加していた
②ワタシが安倍首相なら便宜を得る
③したがって、安倍首相は便宜を得ていたに違いない

この①②③の流れが典型的なアナロジー・類似推論だ。
「自分と他人はまるっきり同じ」
という凄まじくラフな大前提のもとに組み立てられる思考。
一部ではレンホーメソッドと言われている追求メソッド。
これが人間の「世界予想の方程式」なのだ。

何が言いたいかと言えば、
AIが人工知能である以上、この人間らしい「ツッコミポイント満載の思考」類似推論を再現しなければならなかった。

ところがだ。
あにはからんや。
なんたることか。

AIは他のやり方で人間の行間を、
AIは他のやり口で人間の欲望を、解読しやがった。

筆者はそのやり口に驚愕した。

ここ30年間。
検索エンジンに打ち込まれた全デジタルテキストデータから、言葉と言葉のつながり傾向を分析して、行間と欲望を解読しやがった。

これは人間のやっている思考方法とはまるで異なる。

したがって、
もはやAIは「人工知能」ではないのだ。




AIと呼ばれるAIとは非なるもの


いま我々がAIと呼んでいるものは、もはや人類の思考を再現するプロジェクトなどではない。
「人類ではない何か」を創り出しているのだ。
「人類の方法論とは違う思考メカニズムを持った何か」を創り出そうとしているのだ。
再現ではなく創造。

これは、やっちゃいけない。

絶対ダメ。

ほんとにダメなんだってば。

人類はアナロジー・類似推論というツッコミどころのある思考方法によって繁栄してきた。
アナロジーはよく間違える。
だから、間違ってそれを改めようとする。
改めようとアナロジーの精度を上げる。
結果、
「自分と他人は同じ」のなかの、「自分サイド」を人々は向上させてきたんだ。

自分の中に他人をつくる。
他人の心を慮る。
「人が友と自分の心を一にして考える」と書いて「優しい」。

とにかく、他人の立場にたって思い、そして考える。
その結果として、自分と他人が違うものだと認識し、その上で類推精度を向上させる。
そうすることでこの世界に「「優しさ」」が担保されているのだ。

これが人類の人類たる所以であり、原動力である。

したがって、人工知能というものは、
人間のアナロジー・類推推論を突き詰めて人間思考を再現するべきだ。
優しさの上においてのみ、思考を再現しなければならない。

なぜなら、
優しさを失った思考とは、すなわち「むき出しの欲望」だからだ。


つまり、
現在開発が進行しているAIと言われるものは、
人類の思考の再現などではない。

現在開発が進行しているAIと言われるものは、
人類の「むき出しの欲望」だけの部分再現なのである。



欲望の再現プロジェクト

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