増税に「No」を突きつけた異端の国
今般の衆院選においても、増税反対のスローガンが姦しい。
だが、増税ではなく税率の引き上げにこそノーをつきつけるべきだった。
増税のすゝめ
増税とは税収増のことをいう。
これは国家の持ち札が増えることであり喜ばしいことだ。
国家の経済が成長していくと、経済規模の増加割合に比例して国家の税金収入が自然と増加していく。
これが自然増税のメカニズムである。
ここに税率の引き上げは介在しない。
そして、増税がなければ国家は衰退していく。
なぜならば税収入と税金こそが国家のドライビングフォースであり、税金が枯渇すれば国家は機能不全に陥るからだ。
だから、増税反対というスローガンは、税金歳入を減少させて国家政府を破綻に導く方向性が強い。
言葉の使い方に気を配れ😠
ここでは「増税というのは、税率を引き上げることだ。税率引き上げにノーを突きつけたんだ」という反発が予想される。
だがどうだろうか。
本当にディスプレイを覗く2億4千万の眼差しは、増税を税率引き上げの意味で捉えているのだろうか。
捉えてはいまい。
増税を税率引き上げのニュアンスで言語化認識できている人物など一握りに過ぎない。
その証左に「消費税率引き上げ反対」のノボリなど一度も見たことがない。
😾もシャクシも「増税反対」ではないか。
自分の頭で考えず、ましてや思うことなど皆無で、他人の使っているフレーズを右から左へ伝言ゲームで反復していく。
これが30年以上積み重なり、消費税の税率は3%から10%まで引き上げられてしまった。
もし仮に、
消費増税反対ではなく、消費税率引き上げ反対であれば結果は変わっていた。
というのも「消費増税反対」というスローガンには消費税収入の増加反対というニュアンスが込められてしまうからだ。
消費税収入の増加反対とは、すなわち景気悪化願望である。
その願望に沿う形で、日本はここ30年にわたり景気低迷が続いているのだ。
言葉が世界を規定する
消費税導入当初において、
「消費増税反対」のスローガンには「消費税率引き上げ反対」の意味が込められていた。
だがしかし、それが定常化するうちに消費増税反対のスローガンからその含意は忘れられていく。
結果、一体何に反対しているのかよくわからなくなる。
いつしか「増税」という言葉に条件反射で反対するようになっていく。
そして今や、少なくない人々は日本から税金が増えることに反対するようになっている。
「増税反対」
かくして日本から経済成長が消え、GDPが減少し、それにともなって自然と税収入が減少していった。
なんと、
増税反対のスローガンは税金歳入減少という形ですでに達成されていたのだ。
「増税反対」という国家脆弱政策
増税反対ではなく悪税反対とするべきだろう。
鬼税反対だって構わない。
「自然増税をします!」ならなおよしだ。
イメージを端的かつ的確に掴んで伝えるのが大切なのだ。
「増税反対」は30年前において世相のイメージを掴んでいた。
消費税という新税制が俎上にのって、その税制ならびに税金が増えることに対する反対。
略して「増税反対」。
これは相応に世相のイメージを掴んでいたと言えるだろう。
だが、消費税がもはや新税制ではなくなった現在にあって、
増税反対を叫ぶ人々は、
いったいどんな新税制に対して反対しているのだろうか。
惰性と思考停止の掛け算が「増税反対」の紋切り型フレーズ。
「増税反対」
どの野党も掲げた、税金を増やすことに反対する国家脆弱政策。
それに対する支持が非常に色濃く現れたものが、今回の衆院選だったのではないだろうか。
政治家が簡単な言葉を使うのは必要なことだ。
しかしながら、
30年間、誤誘導されっぱなしのまま吟味することなく「増税反対」を使い続けるのはいただけない。
税金は1/2になりました…
「増税反対」
「増税反対」
「増税反対」
「増税反対」
・・・
・・
・
と野党を中心にして日本人の多くが念仏を唱えている間に、本当に日本政府の税収入が減少してしまった。
30年前の二分の一近くにまで歳入が落ち込んでいる。
「増税反対」の魔性の力は掛け値なしに凄い。
しかも、これだけ魔性の力を発現させているにも関わらず、
さらに「増税反対」と税金が減少するよう日本人の多くが祈念している。
「増税反対」と減税を望むうちに本当に本当に日本政府の税金収入が枯渇しつつあるのだ。
それでもまだ増税反対をスローガンに掲げるのだろうか。
それでもまだ税収増化に選挙でノーを突きつけ続けるのだろうか。
私には理解できない思考のベクトルだ。
「失われた30年」という衆愚フレーズ
日本にはわけわかフレーズが飛び交い過ぎている。
先述した「増税反対」は30年の伝統あるわけわかフレーズだ。
これと同様に30年の伝統を有すわけわかフレーズがもう一つある。
それが「失われた30年」だ。
「失われた30年」
このフレーズの何がおかしいかわかるだろうか。
もしこれから5秒以内にわからなければ、あなたは相当に重症だ。
5
4
3
2
1
「失われた30年」は自分たちの中に問題があると規定してしまう。
「失われた30年」は外部犯の可能性を消滅させてしまう。
「失われた30年」を前提に置く間は「奪われたもの」に気づけない。
「失われた〜〜年」を用いることで、日本人は自分たちの中にだけ問題があると思い込んでしまった。
他国との関係性の中で不景気を考えなくなった。
日本というものは、世界の中のほんの一部でしかない。
その世界のほんの一部の中でだけ日本の不景気の理由を探しても、正解にはまずもって近づけない。
そんな無理ゲーをやっていたのが「失われた30年」である。
そして、その端緒となったのが「失われた〜〜」という自縄自縛のわけわかフレーズ濫用なのだ。
言葉が世界を規定する
言葉は大切に使わなければ大変なことになる。
「失われた○○年」という衆愚フレーズが、本当に「失われた30年」を演出してしまったことが何よりの証左だろう。
せめて、
これ以上「増税反対」を連呼して、日本から税金を枯渇させてはならない。