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コロナ事変//終末への助走


世に云うコロナ禍なるものも一服ついた感がある。

マスク問題もワクチン問題でも、もはや視聴率は稼げない。
「日常」というものが帰ってきたともっぱらの評判だ。

だが、コロナ禍は世界を大きく変遷させた。

コロナ事変は人間を委縮させ、AIを伸長させた。


コロナ事変

いわゆるコロナ禍は「情報の質」を一変させた。
人間とは突き詰めれば情報の塊であり、情報の発信基地にして受信基地だ。
すなわち人間こそが情報の権化なのである。
この情報の権化である「人間」をコロナ禍が一変させた。

コロナ問題によって、
危機的状態における「倫理的な振る舞い」が推奨された。

コロナ問題の中で、
人類は倫理的かつ公共合理的に振る舞うようになった。

情報の質が変わり、人間の質が変わり、人間の「間」が変わったのだ。

コロナ問題は世の中に出回る「情報」である「人の間」を一変させたのだ。

エスタブ層支配層やねにおいて
「コロナ事変」と言われる所以ゆえんである。



情報の時代

かたや20世紀は貨幣経済の時代だった。
かたや21世紀は情報経済の時代だ。

わけても「人間情報」を収集し、人工知能を高度化させたものが世界を制す。

これがエスタブ世界支配層の世界やねのコンセンサスだ。

1995年ー2015年

1995年のIT革命から20年で、「平時の人間情報」はおおむね蒐集が完了した。

「平時」において人間がどんなインプットに対してどんなアウトプットを返すのか?

こうした人間情報をインターネットを介し、クラウドで蒐集しAI開発を行ってきた。
だから、この20年でAIは右肩上がりで高度化してきたのだ。



去勢された世紀

1995年ー2015年

この期間において、「平時の人間情報」をガソリンとしてAIの高度化は右肩上がりで進展した。
だが、ここでAI開発に問題が発生する。

ここまで読み進めてくれた眼光紙背を徹す読者にとって、「問題」は明らかだろう。

明晰な読者が思い描いた青写真はおそらくにおいて正しい。

「「有事の人間情報」」がAI開発に不足していたのだ。

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