川口祐繁

1981年からの在家仏道修行者です。 修験道、護摩行、滝行、瞑想、神道、阿含経(三十…

川口祐繁

1981年からの在家仏道修行者です。 修験道、護摩行、滝行、瞑想、神道、阿含経(三十七菩提分法)、運命学、養生法、自然食健康法、サプリメント、整体(緩消法、他) WEBは下記となります。 https://metta-maitori.com/

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凡夫から須陀洹へ:身見、疑惑、戒取とは

まず、身見、疑惑、戒取に関し、分かり易い下記WEBをご紹介しましょう。 身見「身見」は「我見」であり「我執」であり、「動物の行動原理、無明」から生ずるという。釈尊ご在世当時、バラモン教では「我」はアートマン(Ātman)と言われていて、不滅であり果てしなく輪廻転生させる主体であると考えられていました。今から2600年以上まえに、すでに輪廻転生をとらえていて、そこからの解脱を試みていたということは、驚くべきことです。現代人よりもはるかに霊性に目覚めていたと言えましょう。 し

    • 凡夫から須陀洹へ:身見(有身見)とは

      須陀洹(シュダオン):「身見、疑惑、戒取」の三結を断じ、須陀洹へ向かう 聖者の第一段階「須陀洹(ジュダオン)」への道はどのようなものでしょうか。この目標に到達するには、そのイメージが具体的にできていることが不可欠です。どの山に登りたいか、目標を決めてこそ、登頂できます。 さて、釈尊入滅後、しばらくすると「身見、疑惑、戒取」の本来の意味合いがだんだん分からなくなり、部派仏教・アビダルマ時代に様々の解釈が行われますが、とても難解なものとなってしまいます。これは現代でもそのまま

      • 凡夫から須陀洹、斯陀含、阿那含、仏陀・阿羅漢へ 

        仏道修行者として、わたくし達凡夫が、仏陀・阿羅漢へ向かう最初の段階として、まず須陀洹(シュダオン)を目指すことになります。須陀洹にはいくつかの定義がありますので、ひの出版室『仏陀に学ぶ脳と心』、大東出版社『国訳一切経』を中心に全体像を見ておきましょう。 なお、ご承知のように、須陀洹・預流になれば現世でも来世でも、惡趣(地獄の境涯)に落ちることがなく、聖者の流れに入り、心は寂静となってニルバーナ(涅槃)に向います。七回天界と人間界を往復して苦辺を究竟し、斯陀含(シダゴン)、阿

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