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鍛冶屋の仕事 Vol.4|奥深き熱処理の世界

日本最古の刃物産地、兵庫県小野市。そこで鍛冶屋の後継者育成ワークショップに通う日々を綴る。Takashi Kawaguchi@kawaguchi_kajiya(Instagram)

シーラカンス食堂|ワークショップ

 ナイフのテスト焼き入れをしたときのことだった。

 以前の焼き入れ方法では、一定数の焼き割れ、要するに不良品が発生していた。その状況を改善すべく、熱処理方法の改善を模索したのだ。

 焼き入れ温度よし、冷却温度よし、焼き戻し温度も時間もよし。

 処理の終わったナイフは、新聞紙が音もたてずにすっぱりと切れる刃がついた。

「よし、焼き入れは成功だ」

 焼き割れも起きなかった。

 自身満々に検査機関に試験を依頼した。

 数日後「焼き、全然入ってないで」試験の担当者から知らされたぼくは、新喜劇ばりにすっころんだ。関西人の悲しいさがである(うそです、ころんでません)。 


鉄と鋼を組み合わせる日本の刃物

 日本の刃物の優れることは世界が認めるところである。

 では、他国の刃物と日本の刃物では、なにが違うのだろうか。

 それは刃物の構造にある。

 他国の刃物は、刃が全て鋼でできている「全鋼ぜんこう」という作りだ。

 対して日本の刃物は――もちろん全鋼の刃物もあるが――柔らかい鉄を地金じがねとし、刃の必要な部分のみに鋼を使う。資源の少ない日本で効率よく刃物を作る方法を、古来の日本人が発明したと考えられている。

 これにより、鋭い刃を持ちつつ、柔らかい鉄が衝撃を吸収することで、折れずに欠けずに、粘り強い刃物ができあがる。硬い鋼が部分的にしか使われていないから、すこぶる研ぎやすい。

 三徳包丁のような両刃の刃物は、鋼を地金でサンドイッチした3枚構造が主流だ。片刃の刃物は鉄と鋼の2枚構造。我らが日本刀は、硬さの異なる種々の鋼や鉄を組み合わせ、多いものでは9枚合わせなんてのもある。

 そして日本の刃物の特徴である切れ味の鍵は、鋼にあるのだ。

鋼は刃金

 鉄と鋼は、似ているようでまったく違う。

 では、何が違うのだろうか。

 それは、鋼は鉄と炭素からなる合金であることだ。

 刃物に使われる鋼は、鉄におおよそ1%の炭素が含まれている。鉄に対してほんのわずかな炭素が加わることで、鉄の硬さが15倍増す。そこから熱処理を加えることで、その硬さをさらに数倍増すことができるのだ。

 余談だが、ぼくたちが一般的に”鉄”と認識しているものは、昔、化学で習ったFeとは異なる。

 Feは純粋な鉄なのだが、炭素の含まれていない鉄は柔らかすぎて、建築物の構造や刃物には使い物にならない。たいていの鉄は、鉄に炭素が含まれた「鉄鋼」であり、これをぼくたちは鉄と呼んでいるのだ。

焼き入れ温度が1度でも下回れば焼きが入らない

 鋼は熱処理を加えることで、硬さを数倍に増す。その一方で、熱処理の方法によっては柔らかくもなり、強くすることもできる。

 その熱処理とはいかに。

 映画やテレビで、刀鍛冶が真っ赤に熱した刀身を、水につけてジュジューっと一気に冷やすシーンを見たことはないだろうか。あれが熱処理の代表・焼き入れである。

焼き入れ

 焼き入れの原理を簡単に説明しよう。

 鋼は鉄と炭素の合金だと述べた。普段、鉄と炭素の分子は、隣り合ってくっついている状態である。

 それを焼き入れ温度まで熱すると、鉄の分子の中に、炭素がカポッと取り込まれ、分子構造が変化する。

 この状態で急冷すると、鉄の分子の中に炭素が取り込まれた状態で固まってしまうのだ。

 これは、鉄と炭素が隣り合ってくっついている状態とは明らかに違い、焼き入れで得られた状態を、専門用語で「マルテンサイト」という。鋼の組織の名前だ。

もっとも硬い鋼の組織「マルテンサイト」

 マルテンサイトは鋼の組織の中でもっとも硬い。

 焼き入れとは、鋼をマルテンサイト化して硬くすることだ。

 この焼き入れ、焼き入れ温度が1度でも下回ると焼きは入らない。

 かといって「では焼き入れ温度以上に温度を上げればいいじゃないか」という簡単な話でもないのだな。

 温度を上げれば上げるほど、鋼から炭素が抜けてしまって、組織がどんどんもろくなるのだ。

 鋼の種類によって異なる、適切な温度帯で焼きを入れるのが、とっても大切なのである。

焼き戻し

 そして熱処理でもうひとつ大切なのが、焼き戻しである。

 マルテンサイトは鋼の中でもっとも硬い組織だが、このままでは、実は刃物には適さない。

 硬すぎて、衝撃にすこぶる弱いからだ。

 これはガラスの破片をイメージしてもらえれば分かりやすいだろう。指を切ってしまうほど鋭いが、簡単に割れてしまうのと同じである。

 マルテンサイトに粘りを持たせ、欠けにくくするのが焼き戻しである。

 焼き入れは、言ってみれば鋼を無理やり硬くする作業だ。

 鉄に炭素を取り込んで灼熱の状態から一気に冷やされるのだから、そのストレスたるや都心の満員電車での通勤に匹敵する。

 そこで「温泉につかって疲れをいやそうか」となるのは、人も鋼も同じである。

 焼き戻しは、人が湯につかるがごとく、焼き入れした鋼を再び低温で熱するのだ。

 しかるべき温度・時間を処理すると、あら不思議、ガチガチに固まっていたマルテンサイトも緊張が和ぎ、鋭さと粘さを兼ね備えた「焼き戻しマルテンサイト」が得られるのである。これが、刃物にもっとも適した鋼の組織だ。

鋼の熱処理は宇宙

 熱処理は温度や時間の管理が大切だ。

 繰り返しになるが、焼き入れ温度を1度でも下回ると焼きが入らないし、焼き戻し温度が5度違えば、得られる結果が変わってくる。

 ナイフのテスト焼き入れは、わずかな本数しか実施していない。温度や時間も確実に管理したのだが。

 にもかかわらず、ぼくがすっころぶことになったのは(ころんだのはぼくの心です)、いったいどこかまずかったのだろうか――。

 鍛冶屋見習いは2年目にして「鋼の熱処理は宇宙」だと悟ったのだった。

 ※ちなにみ、これはテストの話であって、出荷されている商品はばっちり焼きが入っています、念のため。


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