フォロー外しの心理:チョウチンフォロワーの観察【きまぐれエッセイ】
あたしは、フォロワー数とか「スキ」された数だとか、そんなものにあんまりこだわらないタイプ。
noteから《あなたの記事が2000回スキされました~!》とかいう、やけに大げさな報告を受け取ることがあるけれど、あたしにしてみれば「ふ~ん」で終わる。
だって新しい記事をアップしてから数秒でスキを押す人もいるわけで、冗長でだらだらと長いあたしの文章を読んだとは小学生でも思わない。そんなユーザーがいることを、あたしはしっかり日々観察しているからね。
それと、腹黒い行動が透けて見えるユーザーもいる。
フォローしておいて、相互フォロー状態になってから、シレっと外す。これを何度も繰り返す輩がいる。
noteを始めてから約一ヶ月の間、あたしも最初は「スキ」は記事を読んで「これいいな」と思ったときに押すものだと思っていたから、適当なスキとか、義理での「スキ返し」なんて一切しなかった。でも、続けていくうちに考え方が変わってきた。
知らない誰かが、数秒でもあたしのために時間を使ってくれたのだから、礼儀としてお返しをするのが社会人として当然だと思うようになった。
ネット上でも、相手は感情を持つ生身の人間だ。だから、世間の義理はネット上でも通じるわけだし、お返しするのが当然。
記事をしっかり読んでいないことが分かっていたとしても、香典返しのような義理を否定するべきではない。「世間の常識」を否定しないように、自分も少しずつ変わっていった。
しかし、いったんフォローしておいて、後からシレっとフォローを外す。しかも、それを機械的に繰り返しているユーザーがいることに気づいたのは、義理のお返しを始めた矢先のことだった。
比較的フォロワーの多い人からフォローされたので、「渡世の義理」でフォロー返しをした。それで相互フォロー状態になったわけだ。これが世間様の常識というやつか、と迎合している自分を褒めたくなったが、少し経ってからその人からのフォローが外れていた。
ああ義理の関係が終わったんだナと思って、せいせいした気持ちであたしもフォローを外した。
ところが、数日後にまたその人からフォローがあった。
気が変わったのかと思ってフォロー返しをしたが、また少し経ってからフォローを外された。さすがに三回目の「フォロー&フォロー外し」があったときは、「あれ?おかしいな」と思った。
こいつは何かの目的で機械的にフォロー&フォロー外しをしているのではないかという仮説を立て、こやつの腹黒い奸計にのっかることにした。
四回目、七回目、十二回目……ここまでくれば仏の顔も三度笠。普段はぼーっとした顔つきでお人好しに見えるあたしの顔が、般若の顔に変わった瞬間だ。
この時から、義理の関係が「仮想敵」に変わった。見ず知らずの人に敵意が芽生えた。殲滅しなければならないとか、叩きのめさなければならないとか、そんな物騒なことは思わないが、「敵」と表現したのは、しっかり防衛しなければ、逆に敵からヤラれてしまう可能性があるからだ。
noteでは、いろんなことを学ばせてもらっている。
「人生で大切なことは全てnoteで学んだ」ってタイトルの本も書けそうなくらい。いや、冗談じゃなく。毎日気づきがあるし、人間研究ができるし、いろいろ面白いし、知識も得ることができる。
しかし、こういう「機械的なフォロー&フォロー外し」をする輩は、ハエ取り紙でからめとってしまいたいくらいにウザい。
チョウチンフォロワー
これからあたしは、こいつらのことを「チョウチンフォロワー」と呼ぼうと思う。「チョウチン」は一時的な光、つまり一時的な関心や注目を表現し、「フォロワー」はそのまんまなんだけど。
やつらの行動が一時的で持続性がないことをうまく表しているんじゃないかな?そんな「チョウチンフォロワー」からフォローされたとしても、また外されたとしても、あたし自身の灯りはまったく変わらない。
とまあ、こんなチョウチンフォロワーに対して、他のNoterはどう思っているのかな?と気になったので、リサーチしてみたら、チョウチンフォロワー関連記事って案外多いのね。
おもしろハッピークリエイトさんは、パパとこどもの対話を通して「チョウチンフォロワー」の生態を表現しています。将来「チョウチンフォロワー」みたいにならないよう、しっかりとお子さんの教育をしている様子でたのもしいです。
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