ジェンダーについて(LGBTQと先輩の話)
ジェンダーと私
何を隠そう私はジェンダーについて昔から強い関心を持っている。
司法試験で憲法に触れ、このとき自分の中で人権感覚のベースが出来た。試験は10年やっても受からず、普段は弁護士の友人を見て羨ましいと思う事はほとんどないのだが、ジェンダーに強い弁護士として活動している三輪君のSNSを見るときだけは、こんな弁護士になりたかったなと素直に思う。
はるか昔、「らんま1/2」というアニメがあった。主人公の 早乙女乱馬 は水をかぶると女になり、お湯をかぶると男に戻るという設定で、思春期の頃は自分もこういう体質になりたいと思ったりした。そういえば今はあんまり思わないな。
さて、私は家事をやらないことも多いがそれは単に「働きに出る夫と専業主婦」という、夫婦間の役割分担の結果だと思っている。当然、上も下もない。私がやるべき家事をやってないとしたらそれは私が偉いからではなく、単に私が怠けているせいなのだ。(こういう開き直った発言をすると「お前はそういう風に言えばすべて許されると思っているのか」とお叱りを受けることがしばしばある)
例えば掃除は私がやることが多い。しかしこれは何も明文化しているわけではなく、わたし的には「気になった人がやる」ものだと理解している。ただこのルールで困るのは、お互い余裕がない時はなかなか掃除に手が回らず、チキンレースのように相手が先に動くことを期待するあまり、どんどん部屋が汚くなっていく、ということがよく起こる。
また、料理はパートナーが作ってくれることが多いのだが、ある時、何から何までお膳立てさせられることに不満を爆発させた彼女が「箸ぐらい自分で用意しろ!」と激高し、それ以来、食事の時に私のお箸を並べてくれることは一切無くなった。以来私は自分のお箸を自分で用意するようになったが、これもささやかな役割分担である。
先輩の話
さて下らない家庭の話は置いといて、ジェンダーについて。
私は5年ほど前に、1年だけ障害福祉の仕事をしたことがある。その時に隣に座っていた先輩がトランスジェンダーだった。私と同じタイミングでこの部署に異動してきたのだが、先輩は出戻りであり、みんなはその人を男性として知っていた。それで、私も「岩みたいなおっさんが来るで」と聞かされていたのだが、いざ異動の日になると女性の姿のその人が現れた。数年前にカミングアウトしたらしい。カラフルでタイトな服を着てメイクをした、髪の長い初老の女性。私はその人の元々の姿を知らないので、最初からこういう人だと思って接していた。
しばらく接してみて感じた率直な印象は、「アツくて良い人なんだけど、話が超長い」というものであった。
私たちの管轄エリアには自殺の名所とされる場所があったので、水曜日の夕方には「自殺しそうな人がウロついていないか2人1組でパトロールする」という謎の仕事があった。そこでその先輩とペアになることが何度かあり、職場ではできない色々な話を聞いた。
先輩は当時58歳だったが、実は15歳の時に心が女性である旨の診断を受けていた。女性の身体に近づくために何度か女性ホルモンを打ったことがあるが、副作用が強すぎて断念したらしい。結婚して子供もいたが、性自認をカミングアウトしたことがきっかけで離婚した。
ある時その先輩が縄で縛られているSM的な写真がSNS上にUPされ問題になったことがあったが、先輩曰く、「緊縛師」という、縄で体を縛る職人がいて、その技はもはや芸術の域である。私はその芸術のモデルになっただけで何ら やましいところはない、との話であった。
当時の職場は女性の比率が非常に高く、20人中、戸籍上の男性は3人だけだったので、3人で何度か食事に行った。先輩はそういう所で男扱いされることを特に嫌がったりはしていなかったし、むしろ食事に誘われることを喜んでくれているようだった。
先輩は「精神を病んだ人の心を守り支援する」という専門的な仕事をしていて、そもそも人の心の問題に長けた人だった。LGBTQの相談にも応じているようだった。地域の障害福祉に携わる人からはとても慕われ、頼りにされていた。
いろんな人が面白がって私に「どんな人なん?」と先輩のことを聞いてきたが、私は一貫して「すごくいい人。話長いけど。」とだけ答えた。
LGBTQと左利き
全人口におけるLGBTQの人の割合は8人に1人ぐらいで、左利きの人の割合とだいたい同じらしい。
私は左利きなので、この話を聞いたとき、妙にLGBTQに親近感を持った。左利きは間違いなくマイノリティだが、社会で差別されているわけではない。自動改札も自動販売機も、お箸の置き方も、はさみも、スープ用のお玉も、右利きの人に都合よく作られていて不便ではあるが、差別されているとまでは思わない。逆にスポーツなどでは重宝されることが多いし、何なら左利きの自分が好きで、その特性をカッコいいとすら思っている。
ということで、LGBTQ問題の出口は左利きなのだと思う。彼ら彼女らが、たとえマイノリティであっても社会から嫌悪されることなく当たり前に認知され、自分のことを堂々と好きだと思える状態。それが実現できれば、この問題を語る人はいなくなる。そんな時代が来ることを願う。
※今回はジェンダーと聞いてこんなことを回想し考えてみました。
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