青山学院大学教授で音楽家そしてビジネスコンサルタントの松永エリック・匡史とともに、世界を変革していくメンバーたちが、活動の軌跡をアップしていきます。 「直観、共感、官能 思うままに創造し、未来をトランスフォームする」 Z世代の情報発信、エンタテインメントの変革、社会課題の解決、クリエイティブ思考、など http://ericmatsunaga.jp/
カワック
小説風のものをまとめています
小説を書きたい。 10分で書きたい。 男はそう思った。 インスタント小説。 インスタント小説製造機。 3つのキーワードを入力するだけで、 そのキーワードをお題にした小説が たったの10分で出来上がる。 例えば 「電車」「焼肉」「サンダル」 と入力する。 10分経つとプリンタが動き出す。 そして、 ・電車の中でBBQをしている夢を見た。 ・20歳ぐらいの自分。学生時代の仲間。 ・ゾウリぐらいある大きな肉を焼き ・いい感じに焼き上がったのでガブリとかじりついたら ・肉だっ
中二病の本質とは、妄想ではなく、青さである。 妄想だけで青さが無いのは、病じゃない。人並みの、ただの おじさん である。 顔から火が出るほどの、死にたくなるような恥ずかしい思いや経験が誰しもある。誰でも失敗はする。そしてそれは青さに由来することも多い。 人の記憶は時とともに解像度を失う。 細部の鮮やかさが失われ、抽象的なイメージだけが残る。また、しばしば美化される。 私が子供の頃は、 1970年代は昔で、 1980年代以降が現代だった。 今振り返ると、すべて色褪せた過去
チルミュージック という名前のプレイリストを聴いている。 エイリアンズ 金木犀の夜 白波トップウォーター が流れている。 昔から、右耳と左耳の聴こえ方が違うと感じている。 目には利き目というものがあって、私の利き目は左らしい。左目を中心に物を見て、右目でそれを補完している。 そのため、両面で物を見ているときに、急に利き目を隠すと、残された目はピントを合わせるために一瞬わずかに動く。らしい。 私は左耳のほうがよく聞こえる ただ右耳には別の役割があるような気がする。 イヤホ
自分の失われた感情を、本の中に見つけることがある。 自身の意識としてはずっと18歳の心を持ち続けているつもりでも、実はそれは遠い記憶でしかない。中二病が不治の病だとうそぶいてみても、実はそれは中年病だったりする。 思い出すことはいつも同じ出来事、同じシーンで固定化されている。 いつもと違うことを思い出すためには外的刺激が必要なのだが、本や物語の中にそのスイッチが隠されていることも多い。子供は各成長段階で、それぞれ異なる不自由や理不尽に直面する。そしてこれらに関する「あるあ
靄 [読み] もや [意味] もや、かすみ。大気中に無数の微小な水滴が浮遊し、遠方がかすんで見える現象。 昨日は大学院の村山ゼミがあった。私は未だに自分のテーマを見つけられていないので、毎回くだらない大喜利のように、構想のお題や頭に浮かんだ抽象イメージを披露している。 今日の構想イメージ 抜粋 ・1つ取得する代わりに何か1つ捨てる ・自分は何者かである or あるはず ・過去と大過去をつなげる ・スマホを見て思い出に浸りながら不要な画像を捨てる飲み屋 ・自己プロデュー
ジェンダーと私何を隠そう私はジェンダーについて昔から強い関心を持っている。 司法試験で憲法に触れ、このとき自分の中で人権感覚のベースが出来た。試験は10年やっても受からず、普段は弁護士の友人を見て羨ましいと思う事はほとんどないのだが、ジェンダーに強い弁護士として活動している三輪君のSNSを見るときだけは、こんな弁護士になりたかったなと素直に思う。 はるか昔、「らんま1/2」というアニメがあった。主人公の 早乙女乱馬 は水をかぶると女になり、お湯をかぶると男に戻るという設定で
私が探している宇蛍人は「ネコーム」という名前であることが分かった。2121年では、金さえ出せば、わずかな記憶から人の姿や名前を探し当てることができる。たとえそれが100年前の記憶であっても、宇宙の彼方であっても。もちろんもっと多くの金を出せばさらに詳しい情報にアクセスできるが、私にはそこまでの金はない。ネコームが今この瞬間、どこで何をしているかまで突き止めようと思うと、私の収入だと100年働くぐらいの金が要るらしい。なお、金といってもこの時代には、現物の紙幣や貨幣はほとんど存
秋の日曜。 気温は下がって、空気が澄んでいる。 月夜の中、空気が揺らぐ。 まっすぐ歩いてみる。5、6歩。 一瞬、縦軸が ぐにゃりと歪む。 電気を消して布団に入ると、 コオロギの声が聞こえた。 「あんたさん」 私「?」 「あんたさん、私です。コオロギです。」 私「コオロギさん?」 コ「そうです。すみませんこんな夜中に」 私「私に何の御用でしょうか」 コ「御用というほどのものでもないのですが、」 私「はい」 コ「宇宙から来ました」 私「ま・・」 コ「まじです。そして今から
大学のゼミで、学年を超えた交流会があり、 そこで知り会った先輩がこんなことを言っていた。 最近、ごはん抜きのお茶漬けを食べている。 作り方は、お茶漬けの素をお茶碗に入れて、お湯を注ぐだけ。 ちゃんとお茶漬けの味がする。 その先輩はちょっとダメな人で、 お酒を飲むと必ず、クツを片方脱いで、クツを持ちながら歩く。 なんでそんなことするんですかと聞いたことがあるが 理由は本人にも分からないらしい。 クツを失くしてしまうことも多いため、 同じクツをいっぱい買っているらしいのだけれ
毎日、世界の少しを切り取って生きている 世界は瞬間の連続だった。 初め鮮やかに、そして徐々に色彩を失っていった。 世界は平べったく、平坦に、平凡になった。 切り取った場面 午後5時、鐘が鳴り響く 草原で、人々が等間隔に立っている みんなうなだれている 本 は意識と認識の世界 実世界の記憶で情報を補完しながら 文字が躍る 文字は疾走する 先を急ぐ 早くしないと消えてしまう 忘れてしまう 夢の記憶 起きた瞬間だけわずかに残る記憶とイメージ すぐに消える 1分で消える
最近、嘘とフィクションと真実と問い、のようなことばかり考えている。 嘘とフィクションについては先日noteに書いたが、その後あれこれ人と話す中で、村上春樹氏の興味深い言葉と出会ったので一部抜粋して紹介する。2009年にエルサレムで、英語で行われたスピーチで、主旨としては「高くて硬い壁と、壁にぶつかって割れてしまう卵があるときには、私は常に卵の側に立つ」というものだが、その前段で嘘とフィクションについて言及している。 ―― 以下、引用 ―― 私は今日小説家として、ここエルサ
1 包丁を投げたい 包丁を投げたい。この数年、そんな妄想に取りつかれていた。 ダーツみたいに? いや、それだと重くてキレイに飛ばない。 もっと、柄をしっかり握って、思いっ切り投げる。 包丁はクルクル回りながらどこまでも飛んでいく。 だれも見ていない場所で、 だれもいない、動物も鳥もいない場所で、 思いっきり包丁を投げたい。 シロ「やあ、来たね」 クロ「長かった」 シロ「こんな時代が来るなんてね」 クロ「包丁職人に殺されそうだね」 クロはお気に入りの包丁をキレイ
私は少し前からnoteに毎日投稿しているのだが、最近は 記事にコメントしてもらうこと ついコメントしたくなる記事を書くこと を意識している。 さらりと読みやすい文章を書くだけでは、 人の心には残りにくい。 なので、 できるだけ気持ち悪さの残る文章 を書くよう心掛けている。 そんな中で先日、考えさせられる出来事があった。 発端は3週間ほど前。地元の、同じ中学の友達から久々にLINEが入った。 「これ応募しよ!」 彼が提案してきたのは、千原ジュニアの「YouTube大
豆腐選手権 豆腐で出来た土俵の上で相撲を取る。 豆腐に全身が沈むと負けになるので、 必死で相手の体を豆腐に沈める。 強く踏み込むと自分の足が豆腐に沈む。 練習はボロボロの、砂まじりの土俵でやってきた。 一度崩れた豆腐を再形成したものだ。 本番は真っ白な、まっサラな土俵で行われる。 八卦良い、 残った。 四つに組んだ体が豆腐に沈んでいく。 練習のように少しずつ えぐれるのではなく、 ただ静かに、ゆっくりと、沈んでゆく。 やがて、両者の身体は見えなくなった。 豆腐の底を抜
私が生まれ育ったのは、火事の多い町だった。 毎日のように、町のどこかで火事が起きる。 そして次の日には、新聞の折込みチラシに 出火のお詫び広告が入っている。 自分が火事を起こしたにも関わらず、 なぜか「〇〇見舞」という題になっていることを 子供心に不思議に思っていた。 火事が多い理由を、中学の技術の時間に教わった。 私の町には織物工場が多かった。 工場では壁じゅうに高圧の電線を這わせている。 この電線の上には、繊維くず(ホコリ)が溜まりやすい。 機械や配線は昭和30~40年
ウソつき大会の後、嘘とフィクションについて話し合った。 人はなぜ嘘と分かっていながら フィクションに一喜一憂できるのか。 敢えて騙される、というプログラムが脳の中にあるのか。 ある一人の答え。 フィクションの目的は、疑似体験と現実逃避だから。 その目的のために、瞬時に疑似体験モードに入り、 誰かの主観に溶け込み、感情移入する。 また、人はフィクションを「作り話だ」と知ってはいるが、 ドラマや映画を「嘘」と思いながら見ることはない。 「これは死んでいるものだ」と思いながら 肉