影_滅裂 (1500字小説)
悔いが残る1日だったな、と思いながら虫に向かって唾を吐いた。
虫が飛んだ。
地面に映った影が、背伸びして長くなり、手がぐにゃりと曲がった。
影の手は虫を掴んで食べた。
ブロック塀の真ん中を殴ると、いびつな穴が空いた。
錆びた針金が剥き出しになった。
木製の電柱に雷が落ちて割れた。停電になった。
近くで見ていただけだったが、手が痺れて痙攣した。
消防車のサイレンが聞こえたが、電柱の炎の横を素通りしていった。
坂の途中に川があったが、川の水は地下に潜り消えていった。
落ちた雷は、ブロック塀の穴をすり抜け、水たまりをかすめ、茶色い石で跳ね返って、歩いていた犬に突き刺さった。
犬は衝撃で混乱し、近くの子供を噛んだ。
それで犬は力尽きて動かなくなった。
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子供の頃、犬に追いかけられて、足を噛まれた。11針縫った。人からは、逃げるから追いかけられるのだと言われた。まだ野良犬のいる時代だった。気付かないふりをして、振り向かずに、早歩きで逃げるべきだと言われた。
犬は遊んで欲しかっただけだ、と誰かが言った。遊んで欲しいのになぜ噛むのかと思った。
私の人生は、ずっと追いかけられている。追っ手が来る。逃げるから追われるし、追われるから逃げる。
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どこの世界にも話の通じない生き物がいる。
この間も家の中にヘビが入ってきた。ヘビに居座られると困るので、出て行ってくれと頼んだが、一向に出ていく気配はない。頼み方がまずかったかなと思い、「すみませんがここはあなたの家ではありません。帰っていただけませんか?」と少し丁寧な言い回しをしてみても、全く気にも留めない様子である。
やむを得ず、影の手が飲み込んだ虫を、ヘビの前で吐き出させた。ヘビが虫に気を取られている隙に、ヘビの首に包丁を突き刺した。ヘビはしばらく抵抗したが、やがて動かなくなった。私は動かなくなったヘビを窓から捨てた。少し経って、ヘビが本当に死んだかどうかを確かめに外へ出た。ヘビの首には包丁が刺さったままだったが、体は少し動いていた。私はヘビに枯れ葉を被せ、火を付けて燃やした。ヘビの皮膚が、焼いた魚のような、ぱりぱりの質感になった。だがまだ焼き足りなかったので、真っ黒な炭になるまで燃やした。炭を足で踏むと粉々に、真っ白な灰になった。
ヘビの灰など気味が悪いので、全部海に捨てた。たかがヘビ1匹に大層な労力を費やした。ヘビに日本語でお願いしたことは無意味だったと思った。もう出てきませんようにと祈ったが、これも「よろしくお伝え下さい」と同じくらい無意味だと思った。
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実弾を撃てるという店があったので入った。目が霞んで的が見えなかったので、見えるものを狙って撃った。弾はどこにも当たらず見えなくなった。的は亡霊のようにこちらに近づいてくる。2発目を撃った。弾は亡霊に当たったが、すり抜けた。
亡霊はヘビだった。ヘビは私を殺そうとしている。目が合うと動けなくなる。慎重に、視線を落とし、走って逃げた。だがヘビは私に付いてきた。
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逃げれば解決すると思っていた。
ヘビを凍らせるために、氷の国まで逃げた。しかしヘビは追跡を止めなかった。
ヘビの亡霊などいないのだ。それは確信している。
いないものが追いかけて付いてくる。
逃げるのはあきらめて、ワニに食わせようと思った。
ワニの巣に行くと、ワニはヘビの抜け殻を持って来た。そしてヘビの亡霊が抜け殻と重なった時を狙いすまし、ヘビをひと噛みにした。
ヘビの亡霊は今度こそ本当に動けなくなり、ワニの一部になった。
何の感動もなかった。
ヘビを取り込んだワニは年老いて、人やヘビを襲わなくなった。
ワニはそのまま歳を重ね、143歳で死んだ。