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人は何かを演じずにはいられない。

川口市出身の自称読書家 川口竜也です!

昨日のお昼ごろ、読書会で知り合った方から連絡が来る。

「関わっている舞台が千秋楽。かなり面白い仕上がりなので、お時間があればぜひ」とのこと。

前日の午前中は東京読書倶楽部の読書会、午後に友人とボードゲーム、そのまま飲み会(二次会付き)と詰めに詰め込んだ1日。

正直、「一日中寝る」気持ちだったけれども、折角のお誘い。もとより一度は小劇場とやらに行きたかったのもある。

そんなわけで、阿佐ヶ谷はシアターシャインにて、『水面のカラス、演技する都市』を観に行った次第。

本公演は真実を追い求める公演です。真実とは影にあり、人に見つめられる表面にはありません。しかし、人に影の全貌を知る事は出来ない。この世には灯りも影も無数にあります。灯りの当たるものを見る事はできても、影は掴めない事でしょう。

「水面のカラス、演技する都市」
当日パンフレット(キカクシャより)抜粋

いかんせん、舞台を観に行くのは初めて。

歌舞伎やミュージカルなど、広義の意味で「舞台」は見たことがあるけれども、有川浩の「シアター!」のような「演劇」は初だ。

本当にド素人の感想になってしまうのだけれども、目の前で繰り広げられる演技に、とても感動しました。

何しろ、観客席と舞台が目と鼻の先。まるで観客の自分も舞台側にいる・・・・・・・・・かのような感覚を覚えたくらいに。

本作は劇の中で劇が行われる「劇中劇」というものだそうで、同じ登場人物を、別の人が演じるシーンが何度も行われる。

(その時は、演劇初心者ゆえに「そういうものなのか」と思っていたが、これがある意味伏線となっていたのかもしれない)。

過去に起きた事件の真相を解明すべく、「カラスちゃん」という少女を追い続ける探偵 タニタニ レンイチ。

お前たちは演技をしている。
誰も本当のことなど言わず、
水面に自分の裏側を隠して、
『全部わかってるんだ』と鳴いている。
お前たちはカラスだ。

「水面のカラス、演技する都市」公式HPより抜粋

演劇の冒頭。探偵”役”のタニタニが、客席に話しかける。

これは演劇であり、「嘘」であると。

1章、2章と舞台は進み、遂に真相究明にたどり着くタニタニ。だが、そこでまさかのどんでん返しがくる。

それは、ここで取り扱っている「真実」とは、このフィクションの「真実」ではなく、世界そのものにおける「真実」であると。

それは、この世界で生きていく限り、人は何かを演じずには生きていけないということ。

もちろん、あくまでも演劇におけるテーマである。

しかし、振り返ってみれば、私たちは日々、様々なキャラクターを演じている。

ここで言う“演技”とは、舞台上のパフォーマンスに限らず、さまざまなコミュニティの中で行われているものです。たとえば、大人として、親として、恋人として、上司や部下として…。人は立場や状況に応じて、さまざまな役を演じます。

「水面のカラス、演技する都市」
当日パンフレット(演出より)抜粋

こういう、いわゆるペルソナ的な意味もあるが、もっと日常的な場面で「演技をしている」ことも少なくない。

知ったかぶりをする、オウム返しをする、それっぽく見せかける。

時には自らを偽ってでも、演技をすることだってあるかもしれない。

だが、演じることが、決して悪いとは思わない。

「別の人間を演じる」ことで、救われる人だっているのだから。

去年読んだ、トーベ・ヤンソン「ムーミン谷の夏まつり」然り、乾ルカさんの「水底のスピカ」然り。

演じることは、過去の自分を殺すことでもある。

どうしても拭えない過去を、辛い経験を、逃れられない「事実」から逃げるために、演技をすることだってあるだろう。

ならば我々も演技をしよう。
嘘をつこう。
演技する都市の中で、
もっともらしさによって、本当のことを語ろう。

「水面のカラス、演技する都市」公式HPより抜粋

だからこその、劇中劇。異なる人間が、1つのキャラクターを演じる。

そして「人はなぜ演技をするのか」。いつの間にか観客すらも共演している展開に、思わず見入ってしまいました。

舞台自体は千秋楽ではあるが、私の演劇鑑賞は「初日」である。またどこか観に行ってみよう。それではまた次回!

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川口 竜也 / 川口市出身の自称読書家
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