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聞こえない声を聞く
川口市出身の自称読書家 川口竜也です!
趣味というわけではないが、たまには映画館で映画を観たい人。2ヶ月に一度くらいは映画館に行きたくなる。
そんなわけで、前に原作を読んだこともあって、町田そのこさんの「52ヘルツのクジラたち」の映画を観てきました。
傷を抱え、東京から海辺の街の一軒家へと移り住んできた貴瑚は、虐待され、声を出せなくなった「ムシ」と呼ばれる少年と出会う。かつて自分も、家族に虐待され、搾取されてきた彼女は、少年を見過ごすことができず、一緒に暮らし始める。
原作を紐解いていた時点に、読み終わるまでに3回くらい泣いていたので、上映開始30分くらいから、案の定泣きっぱなし。終わる頃には赤子のように泣き疲れている。
原作よりかは表現がマイルド?なっているシーン(幼少時代に両親から虐待されていた貴瑚の描写)もあるけれども、病院で父の様態を宣告された後のシーンなんかは、何かもうっ、何かもうっ…!て感じで響いた。
ただ原作と少し違う印象を受けたのは、貴瑚の母(由紀)について。
原作だと本当に嫌な印象しか覚えなかった母(子供を利用するために愛するみたいな)だが、映画だと自分の子どもへの愛情の与え方が、自分でも分かっていないような、そんな葛藤が垣間見える。
本を読んだときにも思ったけれども、作中に出ている登場人物は、みんな何かしら心を痛めている。
小説を読んで惹かれた点は、被害者・加害者といった描かれ方こそされているけれど、もう少し引いてみると全員が心を痛めているし、全員が声を上げている”52ヘルツのクジラ”と感じられる部分でした。
周波数が合わなくて、自分の叫び声が仲間に届かない52ヘルツのクジラたち。これは、クジラたちだけの話ではなくて、往々にして私たちにも起こりうる。
自分の叫び声が、どんなに頑張っても届かないと思ってしまい、喋ることすら諦めてしまうこともある。
原作だと悪役感の強い登場人物たちも、どこで間違ったのかと聞かれたら、最初から間違ったんだよって思わず言いたくなってしまうが、彼・彼女なりの心の叫びがあったのだろう。
でもそれがうまくいかなくて、暴力や虐待という形になってしまったのかもしれない。無論それは許されることではないけれども。
だからこそ、貴瑚が安吾や美晴と出会ったように、そして後に52と呼ばれる少年が貴瑚と出会ったように、きっと自分の声を聞いてくれる人も現れる。
安吾が語っていたように、魂の番となる人が、きっと現れるって。
あと個人的には、原作だとキナコの命の恩人である安吾さんが、最後の最後まで母親に受け入れられなかった描写が印象深かったけれども、映画だと母親も最後は認めてくれていたようで、何かそれが良かった。
もう映画鑑賞後は、とにかく「泣いた」と「良かった」としか感想が思い浮かばないため、詳しく何を考えたかについては、先の読書感想文にて。それではまた次回!
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