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普通の本とは何じゃろな?

川口市出身の自称読書家 川口竜也です!

先日、東京読書倶楽部の読書会に参加された方が語っていたこと。「最近は普通の本が読めていない」と。

その時にも返答したけれども、「普通の本」とは何であろうか。

その日はフィクションを持ってくる方が多かったからだろうか。その人にとっては、「小説・文学」のことを普通の本と捉えていた。

私自身の話にもなるが、学生時代に深夜アニメにハマり、ライトノベルやかわいい女子の漫画ばかり読んでいた。

それらの漫画の収集癖を、父さんの影響も少なからずあると言うと、父さんは「お前と違って普通の漫画だから違う」と撥ね付けた。

ライトノベルを「普通の本」に入れない人は、少なくない。

以前、読書会で一度だけお会いした人曰く、「ライトノベル以外は読む」という。なぜかと言うと、ライトノベルには「得るべきものが何もない」からだという。

その人にとっては、本には索引や出典を通じて、芋づる式に次の作品につながる本が、普通の本なのだと。

中には、ビジネス書や自己啓発本しか読まない人もいる。

またもや以前二回ほどお会いした人だと、「自分は成功した人の本しか読まない」のだと言う。

経営者や事業家、投資家と言った、経済的に成功した人の意見しか聞かないと言う。

私からしたら、商業出版する時点で、すでに成功と呼んでも良いのではと思ったが、その人にとっては、それが普通なのだ。

ちなみに、Googleさんで「普通の本」と調べると、文庫本と比較して「単行本」のことを指すと回答する。

それが最適解かと問われると、また疑問は残るけれども。

それはさておき、普段読んでいる本を「普通の本」と捉えがちではある。

何をもって「普通」と捉えるかは、読者によってそれぞれである。

何が言いたいのかというと、その人の「普通の本」を尊重すること。

わたしは、わたしのフツーを生きる……。
それで充分、それがいい。

落合恵子「絵本屋の日曜日」108頁より抜粋

読書だけに限らず、生き方や人付き合い等も、その人なりの「普通」がある。

大事なのは、自分にとっての「普通」を、人様には押し付けないこと。

瀬尾まいこさんの「夜明けのすべて」を読んでいる間に、ふと思ったとさ。それではまた次回!

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川口 竜也 / 川口市出身の自称読書家
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