恋愛と婚活。傲慢と善良。
川口市出身の自称読書家 川口竜也です!
昨日の仕事終わり。先週「インサイド・ヘッド2」を観てきた余韻のせいか、またしても急に映画が観たくなる。
映画化が決定した当時、どんな展開になるか話題になっていた、辻村深月さん原作の「傲慢と善良」を観てきた次第。
原作でも感じた、「胸を抉る言葉」の数々にハッとされる。
前橋の結婚相談所 小野里さん(前田美波里)のセリフは、自分の至らなさを思い知るし、架の友人 桜庭みなみ(美奈子)の「とにかく嫌な奴」感は半端なかった。
冒頭、架(藤ヶ谷太輔)の独白で始まる。
自分の綺麗な部分だけを見せて、相手に好まれるか否かを考えねばならないのは、藤沢数希さんの「ぼくは愛を証明しようと思う。」などに近しいものを感じる。
私自身、全く婚活をしたことがないと言ったら、嘘になる。
都内のお見合いパーティー的なものに参加したことはあるし、マッチングアプリも登録だけしていた(ほぼ使ってないけれども)。
当時はリサイクル工場の現場作業員。自分の仕事やステータスに自信を持っていなかったし、正直、人を好きになるって感覚を分からずに生きてきた。
反面、「自分なんかと付き合ってくれる人がいるならば、こんなに嬉しいことはない」という、本作風に言うならば、善良な部分も持ち合わせている。
ただ(言い訳に過ぎないのだが)昔はめちゃくちゃ太っていたし、オタクだし、かといって異性と仲良くなるためのコミュ力もない。
父からは「そろそろ彼女を連れてきたらどうか」とか言われるものだから、いよいよ真実(奈緒)と似たような追い詰められ方をするという。
今でも、思い出しただけで自分を一番嫌になるのは、父が会社の事務員さんと一席設けた時のこと(つまり、お見合いである)。
あの瞬間、父が私に対して付けた「値段」を知ってしまった気がした。
きっと父は、どちらが上か下かの誤差はあるけれども、この人と私を同じ価格帯だと思っている。
なんて私は傲慢なんだ。今でもそう思う。
何より父は、恋愛において私を信じていない。
今まで彼女一人連れてこなかった私を、きっと父は「俺が何とかしないといけない」と思ってるだろう。
それはもう原作を読んだ時に、ひどく痛感したことである。
それに、父が望んでいたのは「婚活」であり、「恋愛」ではない。
転職エージェントのごとく、あなたの性格・ステータス・将来性などを踏まえたうえで、添い遂げる会社(相手)として申し分ない方だったのだろう。
だけど、私には「目の前の人を愛する」ことも「目の前の人と添い遂げる」ビジョンが見えなかった。
そもそも、そんなビジョン(求めているもの)すら持っていなかった。
その癖して、「なんかピンとこないのよね」と思ってしまう私の傲慢さ。
もっとも、あちらの方がどう思っていたかは定かではない。
とても良い人であった。それこそ、「傲慢と善良」における真実のように。
あくまでも個人的な感想を述べるが、前半は原作を掻い摘まんでいるだけな印象がして、正直「うん、そこは知っているんだわ」感が否めなかった。
やはり小説だと心理描写が全て文字で起こされている分、読み手は主人公たちの感情の細かい変化を追いやすい。
しかし、映画だと心情を全てを語るわけにもいかず、短いセリフでハッとされるような演出をしなければならない。
それは心理描写を楽しむ小説を映画化する点において、「傲慢と善良」の小説を読んだ方なら、危惧していたことだと思う。実際、私もそうだったし。
だけど、後半から原作とは違う展開で物語が進む。
真実が姿を消してどこに行くかは概ね同じであるものの、そこからは「お!面白くなってきた!」と思った(何様なんだって言われるかもしれないが)。
キーパーソンとなるのは、真実が向かった先で出会う よしのさん(西田尚美)。原作で登場したか覚えがないけれど、憔悴した真実を支える素敵な存在だったと思う。
そして小説を読んだ際に、終盤に感じた「え!結局そうなるの!?」への、心の言葉を思いっ切り代弁してくれた。
それは冒頭の架のセリフに対する、反論のようなもので、婚活と恋愛の違いを提示したように思われる。
その辺りは、ぜひ劇場で観ていただければと。小説・映画共にいい作品だったなり。それではまた次回!