人は雑多な色で出来ている
川口市出身の自称読書家 川口竜也です!
三連休中日。待ちわびていた連休も、過ぎてしまえばあっという間なのよね。
本当は軽めの登山がてら、高尾山にでも行こうと考えていたけれども、どうも悪天候が続いているためやめておく。
そんな訳で、すでに暇をもて余した連休。映画でも観に行こうと思い至り、少し遅れてディズニーの「インサイド・ヘッド2」を観に行ってきた次第。
前作の「インサイド・ヘッド」でもギャン泣きしたが、例によって、本作でもしっかり考えさせられ、そして涙する。
あらすじの通り、本作の軸となるのは高校入学を目前とした、ライリーの「思春期」の葛藤である。
アイスホッケーの強化合宿メンバーに選抜されたライリー。ここで実力を示せれば、晴れてスポーツ推薦も夢ではないかもしれない。
そんな最中、かつての親友と新しい友人の中で板挟みになる。自分を変えてでも、新しい友人の輪に入らねばならなくなる。
すると今までのような、「ヨロコビ」や「カナシミ」、「イカリ」と言った、ある種の単純な感情だけでは済まなくなる。
未確定な未来への「シンパイ」、他人に対して羨ましく思う「イイナー」、でもモジモジしてしまう「ハズカシ」、そして無気力な「ダリィ」。
ここで失敗したらどうなるか、「シンパイ」の種は尽きず、徐々に自分というものを失っていく……。
前作の「インサイド・ヘッド」でもヨロコビたちが気づいたことではあるが、思い出や記憶は様々な感情が入り交じる。
悲しい思い出の中には喜びが含まれていることもあり、怒りと恥ずかしさが一緒になった記憶だってある。
人は誰しも、嫌な記憶や自分にとって不都合な思い出は捨て去りたいと思うだろう。
私自身、前の職場での失敗や、学生時代の恥ずかしい記憶が、なぜだか急にフラッシュバックの如く訪れては、消している。
そんな思い出さえなくなり、恥ずかしい記憶など隅に追いやり、忘れられるのであれば、心は幸せかもしれない。
でも、残っているからこそ、「同じ失敗はするものか」と考えるものであり、やはり自分にとっては必要な経験だったのだと価値付けられるだろう。
かつて森見登美彦さんのアニメ版「四畳半神話体系」にて、樋口師匠が主人公の私に対してこう語るシーンがある。
世の中が雑多な色で出来ているように、頭の中も様々な色で出来ている(それこそ、インサイド・ヘッドで描いている世界だが)。
薔薇色という「ヨロコビ」一色では無いように、様々な色で構成されるのが人間だ。
何より、1つの感情(色)に支配されることは、良くない方向へ進むだろう。
「心配」の種は尽きず、「承認欲求」は止まることを知らず、「怠惰」は人を破滅に導く(ボードレールだったか)。
自分は様々な色で出来ていることを知る。それが「自分らしさ」というものを作り上げるのだろう。
帰り際、とある親子の男の子が語っていたこと。「インサイド・ヘッド3になったら、もっとキャラクターは増えるだろうか」と。
そんな気もするけれども、一番危惧しているのは、キャラクター(感情)が減っていることである。
大人になるにつれて、どこか遠くに行ってしまった感情はないだろうかと、自分に問いかけてみる。
うん…多分大丈夫。子供心も失っていないはずだ。それではまた次回!