【発見の旅#09】わずか地下鉄1駅間で乗客を魅了 ニューヨークのミュージシャンたち
■ わずか1駅間で演奏?
地下鉄の1駅間の所要時間は、短くて1分、長くても2分ぐらいです。それは、日常生活であっという間に過ぎ去ってしまう時間にすぎません。
ところが、私は、2011年11月にアメリカのニューヨークで出会いました。そのようなわずかな時間に地下鉄の車内で演奏して、乗客を魅了してしまうミュージシャンに遭遇してしまったのです。
それは、本当にあっと言う間の出来事。
しかもなぜか(?)ハッピーな気分になれる出来事でした。
今回は、その思い出について書きます。
■ ニューヨーク地下鉄と音楽の関係
ニューヨークでは、地下鉄で多くのミュージシャンを見かけます。駅構内で演奏し、歌うことは、この街では日常風景に溶け込んでいます。
ただし、それぞれのミュージシャンが地下鉄で好き勝手に演奏しているわけではありません。
ニューヨークでは、地下鉄などの公共交通を運営する交通局(MTA)が「Music Under New York(MTA MUSIC)」という事業を行っており、そのオーディションに合格したミュージシャンだけが、規則を守り、指定された場所で演奏できるようなっています。
この事業は、地下鉄を利用者にとって魅力的なものにするために始まりました(出展:CLAIR メールマガジン)。MTA公式サイト「MTA MUSIC」によると、1985年に試験的に始まり、1987年にアート&デザインプログラムとなり、毎年オーディションが行われているそうです。
地下鉄でのパフォーマンスのルールは、MTA公式サイトの「Subway Performance Rules(地下鉄パフォーマンスのルール)」に明記されています。
これによると、現在は「地下鉄の車内」での演奏はできないことになっています(禁止事項の上から2番目:原文「when on or within a subway car; a bus; or, in any area not generally open to the public;」)。
いっぽう、私がニューヨークを訪れた2011年11月には、地下鉄の車内で演奏するミュージシャンが多数いました。彼らは、ある駅から列車に乗り込み、開かない側のドアの前に立ち、ドアが閉まってから演奏を始め、数駅の間に演奏して乗客からチップを集め、静かに駅で降りていました。その様子からは、ある規則があり、彼らがそれに従ってパフォーマンスをしているのが感じられました。
それゆえ、当時の規則では、車内での演奏が許可されていたのでしょう。
このため、以下の話は、ニューヨークで地下鉄車内での演奏が許可されていた時代の「昔話」としてご覧ください。
■ わずか1駅間しかない路線「S」
ニューヨークの地下鉄には、たった1駅間しかない路線が存在します。
その名も「42丁目シャトル」、系統名は「S」。おそらくシャトル(Shuttle)の頭文字でしょう。
この路線は、その名の通り「42丁目通り」と呼ばれる道路の真下を走り、代表的なターミナル駅であるグランドセントラル駅と、中心地であるタイムズスクエアを結んでいます。
かつては別路線の一部として建設されたものの、1駅間だけ切り離されてしまった、ちょっとめずらしい存在です。
■ ドアが閉まり、演奏開始
「S」は、ミュージシャンが車内で演奏するには、明らかに不利な路線です。そもそも演奏できる時間があまりにも短すぎます。
ところが、いました。
それは、平日の夕方。グランドセントラル駅に到着した列車から大勢の人が降りたあと、ホームに立っていた人たちが一斉に乗車。折り返して繁華街に向かう列車であるゆえか、「仕事を終えて、これから夜の街に繰り出す」という感じの人が車内におり、昼間とは異なるにぎわいがありました。
気がつけば、閉じたドアの前に男性が2人。
1人はコンガ、もう1人はギターを持ち、停車中はずっと下を向いたまま。
明らかに普通の乗客ではない!
そう思った直後に、列車のドアが閉じる。
彼らは急に顔を上げ、突然演奏を始め、歌い出す。
乗客たちが一斉に彼らを向く。
地下を疾走する列車のなかで、音楽に合わせて首をふりはじめ、手をたたく。
車内では、彼らと乗客の間に謎の一体感が生まれ、いつの間にかライブは最高潮に。
その直後、まるでタイミングを見計らったように、列車が終点のタイムズスクエア駅に到着。
「みんなありがとう! オレはコインよりも紙幣が好きだ!(意訳)」と叫ぶ彼らに、乗客たちが慣れた手つきで次々とチップを渡し、開いたドアから立ち去る。
以上の出来事が、わずか地下鉄1駅間の移動で起きたのです。
その場にいた私は、目の前で起きたことに驚き、彼らにチップを渡すことを忘れたまま、あわててホームに降りてしまいました。
ただ、それはゾクゾクするほど刺激的で、なぜか(?)ハッピーな気分になれる体験でした。バラバラに集まった乗客たちが、ライブ会場ではない車内にたまたま乗り合わせ、同じ音楽によって不思議な一体感を共有するなんて、思いもよらないことだったからです。
■ 音楽に対しておおらか?
以上のことから、「ニューヨークの地下鉄は音楽に対しておおらか」と感じる方がいるかもしれませんが、実際はそうとも言い切れません。
下の写真は、2011年にニューヨークの地下鉄車内で撮った禁止事項を示すピクトグラム(絵文字)です。左から「禁煙」「ゴミ捨て禁止」「音を鳴らすな」を意味しているのでしょう。一番右のピクトグラムは、斜めになったアンテナがあることから、今となってなつかしいラジカセに見えます。
つまり、ニューヨークの地下鉄では、車内で音楽を鳴らすことが禁じられているのです。わざわざ禁じるぐらいですから、過去に実際に鳴らす乗客がいたのでしょう。
また、先ほど紹介した「地下鉄パフォーマンスのルール」では、ミュージシャンが増幅装置(アンプ)を使うことを禁じています。
このため、ニューヨークの地下鉄であっても、コンサートやライブの会場のように音楽を楽しむことはできません。また、先述したように、現在は車内での演奏も禁じられています。
ただ、駅構内などの公共の場で、ミュージシャンの演奏が毎日のように楽しめるのは、文化的に魅力的ですね。