過去の専門にこだわらなくていい 化学技術者から鉄道ライターになって
こんにちは、現在54歳のおっさんの川辺謙一です。
みなさんのなかには、高校や大学、短大、専門学校などで、特定の分野の専門知識を学び、それを活かす職業に就いている方がいるでしょう。
それは素晴らしいことです。
ただ、もし他にやりたいことがあるならば、「過去に学んだ専門知識には必ずしもこだわらなくてもいい」と私は考えています。なぜならば、職業がおかれる環境や、自分がおかれる環境、そして自分がやりたいことは、時代とともに変化するので、ずっと同じ職業に就いていられるとは限らないからです。
つまり、これからの時代の変化のなかで生き残り、自己実現をするためなら、過去に学んだ専門分野から離れてもいい、と私は思うのです。その方が生きやすく、豊かに暮らすことができる場合があるからです。
人生は選択肢が多いほうが楽しいですし、身軽です。
選択肢が複数あれば、いざというときに対応できます。
そこで今回は、私の実体験に基づいて「過去の専門分野にこだわらなくていい 化学技術者から鉄道ライターになって」という話をします。
「せっかく大学や大学院で化学を学んだのに、その知識を捨てて鉄道ライターになっためずらしい人もいる」「過去の専門分野にしばられなくてもいいんだ」という話として、お楽しみいただけたら幸いです。
まあ、私個人の話なので、細かいところは読み飛ばしていただいて構いません。ただ、みなさんがそれぞれの人生を歩み、職業を選ぶうえでちょっとでもお役に立てば、うれしいです。
■ 化学技術者から鉄道ライターへ
タイトルにもあるように、私は「化学技術者から鉄道ライターになった」人間です。
かつては化学技術者でした。大学や大学院で化学を学んでから化学メーカーに就職し、材料の研究開発に携わっていました。
「専門分野を活かす」という点においては、わかりやすい選択ですね。
ところが、約20年前に独立し、「鉄道ライター」として働き始めました。長年化学に関わることで培った知識や経験を捨て、鉄道を扱うフリーランスのライターになったのです。
以上のことから、こう思う方もいるでしょう。
「もったいない」「学歴・職歴の無駄づかい」
おっしゃる通りです。せっかく時間をかけて培ったものを捨て、それとは縁がない世界に飛び込むなんて、はっきり言って無謀ですよね。
■ きっかけになった漫画「メッキーくん」
ただ、私には、学生時代からやりたいことがありました。
それは、科学や技術を一般向けに翻訳するということです。
それをやりたいと思ったのは、大学4年生のある出来事がきっかけでした。
当時私は、小学生に向けて「メッキーくん」という漫画を描く機会がありました。電気化学会という学術学会の企画として、私が所属していた大学の研究室が「メッキの面白さ」を子どもたちに伝える公開授業をすることになったからです。
【補足】メッキとは、材料の表面に金属の薄い膜で覆う技術のことです。
当時の私は、漫画を描くのが好きなヘンな工学部生だったので、研究室の先輩から「メッキをテーマとするテキストをつくるから、そこに入れる図や漫画を描いてよ」と頼まれたのです。
そこで私は、白衣を着た「メッキーくん」という安直な名前のキャラクターをつくり、その人がメッキについて教えてくれるという内容の漫画を描きました。
公開授業は、大学の実験室で行われました。このとき講師になったのは大学院生の先輩で、私はあくまでもお手伝いをする脇役でした。
私は、小学生の子どもたちに少しでも楽しんでもらおうとして、黒板に大きな「メッキーくん」の絵をチョークで描きました。すると、実験室に入ってきた子どもたちが「あっ、メッキーくんだ!」と言ったのです。
この瞬間、鳥肌が立ちました。テキストはその直前に配布されていたので、子どもたちは「メッキーくん」の存在を知っていたのでしょうが、とはいえ、まだ何者でもない大学生が描いた漫画のキャラクターの名前を呼んでくれるとは思っていなかったからです。
幸い、この公開授業やテキストは好評で、研究室の先生や先輩たちから「あれ、よかったね」と褒めてもらいました。
このため私は、「自分はこういう仕事が向いているんじゃないか?」と直感しました。この「こういう仕事」が、先ほど述べた「科学や技術を一般向けに翻訳する」ことだったのです。
■ 当時なかった「サイエンスコミュニケーター」
ところが、大学4年生だった私に、「科学や技術を一般向けに翻訳する仕事」をする職業に就くという選択肢はありませんでした。当時(1994年)の日本では、そのような職業、つまり現在の「サイエンスコミュニケーター」または「科学コミュニケーター」と呼ばれる職業がほとんど存在していなかったからです。
このため、そのような職業に就くことをあきらめて大学院に進学し、化学メーカーに就職して技術者になりました。
■ 転機となった独立
その後、私は大きな転機を迎えました。休職を機に技術者を辞め、独立し、フリーランスのライターとして活動することになったのです。
その経緯は、長くなるので、この記事では割愛します。もしご興味がある方がいたら、以下のnote記事をご覧ください。
私は、フリーランスの活動を通して、先述した「科学や技術を一般向けに翻訳する仕事」を実現しようとしました。
そのためには、まず足場を固め、場数を踏む必要がありました。当たり前のことですが、それが独立して生きていくうえで必要最低限のことだったからです。
そこで私は、最初に扱うテーマとして「鉄道」を選び、それを通して「科学や技術を一般向けに翻訳する仕事」をしようと考えました。当時の日本では、フリーランスの鉄道ライターはいたものの、鉄道を通して科学や技術の話を語るライターはいませんでした。
なお、「化学」を選ぶ選択肢もありましたが、独立直後はそれを選びませんでした。残念ながら「鉄道」とくらべると地味であり、趣味の対象にはなっておらず、コンテンツとしてのニーズが低いからです。
■ 「鉄道」というジャンルの特殊性
私が「鉄道」を選んだのは、それが「化学」よりも多くの人に受け入れられやすいテーマであるだけでなく、「鉄道」そのものに縁があったからです。
日本では、「鉄道」はコンテンツとしてニーズの高いジャンルです。鉄道は、身近な乗り物であり、すでに多くの人が趣味の対象としている存在だからです。
おそらく、日本ほど鉄道趣味が発達している国は他にないでしょう。私は海外の書店をめぐった結果、日本の書店で複数の鉄道趣味誌が置かれているという状況がきわめて特殊だと気づきました。
私はもともと「鉄道」と縁がありました。子どものころは、実家の近くを走っていた電車に興味を持ち、その経験が元になって科学や技術に興味を持ちました。また、大学院時代には、鉄道旅行雑誌のイラストを描くイラストレーターとして商業デビューを果たし、出版社とつながりを持つことができました。さらに、運転士や車掌、駅員、技術者など、鉄道関係の仕事をする人たちと知り合うことで、いつでも鉄道のことを聞ける環境を築くことができました。
その後、編集者からのすすめで、イラストレーターからライターへと軸足を移しました。
以上の理由から、私はあえて「化学」から離れ、「鉄道」を扱い、フリーランスのライターとしての第一歩を踏みしめました。
■ 鉄道以外の視点で鉄道を俯瞰する
現在、私は「鉄道」だけでなく、それ以外のジャンルにも範囲を広げ、活動しています。その結果、少し離れた視点から「鉄道」を俯瞰できるようになり、より「鉄道」の本質に迫れたように感じています。
また、自動車の本を書くことで、「化学」に戻りました。いま話題になっている燃料電池自動車(FCV)や電気自動車(EV)で使われている燃料電池やリチウムイオン電池は、大学4年生のときに所属した研究室の教授の研究テーマだったのです。
あらためてふり返ると、「化学」→「鉄道」→「化学」というように、ずいぶん大回りして元に戻ったなぁと感じます。
■ 「向いていそう」「やりたい」を大切に
さて、ここまで読んでいただきましてありがとうございます。
以上の通り、私は紆余曲折を経て現在の職業にたどり着きました。
私は2004年11月に独立したので、まもなく独立20周年を迎えます。化学メーカーに所属していた期間は約9年なので、すでにその2倍以上の期間フリーランスとして活動してきたことになります。
これだけ長く活動できたのは、「化学」という過去の専門分野にこだわらず、大学4年生のときに「向いている」と直感し、やりたいと思った仕事をひたすら続けたからだと感じています。
みなさんのなかには、進路や就職、転職で悩んでいて、たまたまこの記事をご覧になった方もいるでしょう。
そのような方は、「これが自分に向いていそう」という直感や、「これがやりたい」という気持ちを大切にしてほしいです。
もちろん、それがすぐに実現しなくても、私のように大回りして時間をかけて実現するのもアリだと思いますよ。
#この経験に学べ
<トップ画像出典:写真AC>
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