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100年前の痛快な温泉ガイド 田山花袋『温泉めぐり』

田山花袋の『温泉めぐり』は、そのありきたりなタイトルからは想像できない、痛快な旅行ガイド本です。大正時代に出版され、読みやすい表記で岩波文庫に入っています。

なんだか味のある表紙(画: 中沢弘光)。岩波文庫版は2007年発行ですが、新刊書店では見つからず、古書店で買い求めました。

まず情報量がすごい。北海道から九州まで、各地の温泉を訪ねています。温泉宿や接客の様子、泉質、周辺の町や村の様子、風景などを細かく記しています。当時の有名な温泉地はだいたい網羅しているのではないでしょうか。

そして温泉に対する評価が率直です。「伊香保は東京附近では、箱根についで、好い温泉場だ」という感じで勝手にランキングしています。ある温泉を「こうした汚い温泉が何処にあるであろうか」とばっさり指摘するなど、独断が多いです。しかも各地の温泉をさんざん取り上げた後に、最終盤で「何と言っても、温泉は別府だ」と有無を言わせぬ結論を出しています。しめりっ気のない内容とテンポの良い文体で、爽やかさすら感じる。さっきはこう言ってたのに今度は違うこと言ってる、みたいな部分もありますが「もうこのおじさんが言ってるならしょうがないか」と許せる気がしてきます。もちろん約100年前、明治・大正時代の見聞をまとめた本ですから、いま行くとだいぶ様子が変わっています。その変化も分かって興味深い。

また温泉周辺や道中の風景の記述もすごく詳しい。旅行記として読み応えがある。例えば東京から長野に至る中央線の列車から見える風景。笹子トンネルを抜け、甲府盆地や笛吹川、南アルプス、八ヶ岳、北アルプスの峰々を望む様子が詳細に語られます。おおざっぱなところもあって、岩手・盛岡から青森は「すべて荒涼落寞」という表現でまとめていますが、それでも馬淵川の渓谷などにはちゃんと触れています。

田山花袋の健脚ぶりも目を引く。交通網が発達してないので徒歩が多いのです。長野・渋温泉から群馬・草津まで歩き、一泊して翌日は伊香保まで歩くとか、山形から宮城県七ヶ宿を抜けて福島県桑折まで歩くとか。平気で県境を越えてます。ほとんど登山みたいなルートもあります。きっとクタクタで入る温泉は気持ちよかったことでしょう。

一方で当時は全国に鉄道が延びて各地へのアクセスが飛躍的に良くなった時代だということも読み取れます。随所に、鉄道が通じたとか、もうすぐ開通すれば簡単に行けるようになるといった記述があります。

感慨深いのは上野と新潟を結ぶ上越線。この本を読むと、現在の上越線の越後湯沢駅の周辺に広がる湯沢温泉は、すっかり廃れた温泉場として取り上げられています。関東と新潟を歩いて行き来するための要所・三国峠の新潟側の温泉地として栄えたものの、「汽車が出来た」ことで人が減ってしまったとあります。「あれ?上越線ができたのになんで?」と思ったのですが、田山花袋が言っているのは、どうやら上野から長野・直江津を経由して新潟に向かう大回りの汽車のこと。まだ群馬と新潟の間を長いトンネルで直結する上越線は建設中だったのです。田山花袋は、上越線ができれば湯沢も「名高くなるだろう」と予想しています。後年、その通りになり、トンネルを列車で湯沢へと抜ける場面は、川端康成も『雪国』の冒頭で描いています。

わたしはこの『温泉めぐり』を、はじめは行ったことのある温泉の章から拾い読みしていたのですが、あまりに面白くて結局は全部読んでしまいました。知らない温泉も、スマホで地図や温泉宿のホームページなどを参照しながら読むと、いまと昔の違いが分かって面白い。こんなに歴史のある温泉なら今度行ってみようかなんて気にもなります。100年前の本なのに、ちゃんと温泉ガイドの役割を果たしている。

代表作といわれる『蒲団』も含めて田山花袋の他の作品は読んだことがないのですが、この『温泉めぐり』はおすすめできます。

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