人類の進化と幸福:トランスヒューマニズムがもたらす未来
人類の進化と「本当の自分」
脳とコンピューターを融合させる技術「BCI(Brain-Computer Interface)」や遺伝子編集技術「CRISPR-Cas9」、さらには「デザイナーベイビー」と呼ばれる遺伝的選別の未来が、今私たちのすぐ近くまで来ています。これらの進化の波は、一見すると人類の可能性を広げるように見えますが、同時に「人間とは何か」という根源的な問いを私たちに突きつけます。
「ほんとうの自分」という概念は、過去から現在にわたり、多くの哲学者や思想家によって議論されてきました。そして今、その答えがテクノロジーによってさらに複雑化しています。脳をアップロードし、身体の制約を超え、遺伝子を最適化することで、理想の「自分」を追求できるとしたら、それは私たちが「本当の自分」になれることを意味するのでしょうか?
南方熊楠の視点:「世界にまるで不要の物なし」
トランスヒューマニズムを論じる上で、南方熊楠の「世界にまるで不要の物なし」という思想を思い出すべきです。熊楠は、地球上のすべての生命や存在が互いに繋がりを持ち、何ひとつ無駄なものはないと考えました。この視点からすると、人間が自らを進化させるために「不要」と見なした遺伝的特徴や能力を排除することは、自然界の調和を崩す行為にも思えます。
例えば、遺伝子編集によって「望ましくない」とされる特徴を削除した場合、その特徴が持つ潜在的な価値や役割を見逃す可能性があります。人類の進化が、自然の摂理や多様性を犠牲にしてまで進むべきなのか。熊楠の思想は、私たちにこの問いを投げかけています。
優生学2.0と倫理的ジレンマ
歴史を振り返ると、優生学の思想は多くの悲劇を生み出しました。特定の遺伝的特徴を選び、他を排除することがいかに危険かは過去の歴史が証明しています。そして今、新しい「優生学2.0」が、技術の力でその問題を再び顕在化させつつあります。例えば、遺伝子編集技術による「デザイナーベイビー」は、親が子どもの知能や外見、さらには性格まで選択する未来を現実のものにします。
しかし、南方熊楠の視点を踏まえるならば、このような選択が果たして正しいのか疑問が残ります。自然界が持つ調和を壊さずに技術を利用する方法を模索することが求められるのではないでしょうか。
トランスヒューマニズムと幸福の追求
哲学者ニーチェが提唱した「超人思想」は、人間が自らの限界を乗り越え、進化し続ける存在であるべきだと説きました。この思想を具現化するのがトランスヒューマニズムです。テクノロジーを用いて身体的・知的能力を拡張し、「ホモ・デウス(神人)」としての進化を目指す考え方です。
一方で、トランスヒューマニズムが幸福をもたらすかは議論の余地があります。高度なテクノロジーによる「幸福」は、本当に人間らしい感情や体験に根ざしたものなのでしょうか。それとも、人工的に作り出された幻想に過ぎないのでしょうか?
ここで熊楠の「世界にまるで不要の物なし」という言葉が再び意味を持ちます。人間の幸福は、進化だけでなく、現在の自分自身を受け入れ、内なる豊かさを見つけることにもあるのではないでしょうか。
私たちはどこへ向かうのか
「もっと豊かになりたい」「幸福になりたい」という欲望は、私たちの本能に根ざしています。これを否定することはできません。しかし、テクノロジーがその欲望を形にするための手段を提供する一方で、私たち自身の価値観や倫理観が試される時代でもあります。
南方熊楠が説いたように、世界のすべての存在が意味を持つという視点を持ちながら、進化の果てに待つ「新しい自分」と向き合うことが重要です。テクノロジーを「怖れ」ではなく、「好奇心」を持って迎え入れ、その倫理的側面を慎重に検討しながら進化を楽しむことが、私たちにとっての最善策かもしれません。そして、進化の果てに待つ「新しい自分」と向き合いながら、幸福とは何かを問い続ける旅を続けていくべきでしょう。