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読書スタイルの探求:遅くとも確かな理解へ

小学校生活: 読む速度の遅さ

小学生の国語の授業は、私にとって特別な挑戦の場であった。教室内の全員が起立し、指定された範囲を読了した後にのみ着席を許されるこのスタイルは、読む速さを競うような形で進められていた。私はいつもクラスで最後に座る一人であり、「みんな読むの早いなぁ」と感じていた。この経験は、読書への私のアプローチを形成する第一歩となった。

中学校生活:読む速さと理解の深さ

中学に進学すると、そのような授業形式はなくなったが、私の「読むのが遅い」という自己認識は残り続けていた。しかしながら、国語のテストでは意外にも高得点を連発し、「遅いけれど確実に理解する」という私の読書スタイルが徐々に確立されていった。

高校時代:国語の授業と精読の重要性

高校になって、国語(とりわけ現代文)の授業はさらに深い洞察が求められる場となった。私は授業中に先生によく指名されたが、その回答が「論理的に間違いない」と評価されることが多く、こうしたフィードバックは自信につながった。また、ペーパーテストの得点は低いながらも、実際には深い理解を重視する「精読」の技術が身についていたのである。

独自の読書法の形成

大学生活を通じて、私は自分なりの読書法をさらに発展させた。特に非小説の書籍においては、まえがきやあとがきを最初に読み、その後で目次を見て興味がある部分だけをピックアップして読むという方法を取り入れた。これにより、効率的かつ楽しむことを優先した読書が可能になった。

読書の目的と方法

読書は単に情報を得るためだけではない。それは自己啓発、教養を深めるため、そして何より楽しむために行うものである。私は読書を通じて、精読、効率、そして享楽―これらの要素を常に念頭に置きながら、自分自身のペースで知識・知恵を吸収している。このバランスの取れたアプローチが、私にとって最も充実した読書体験を提供してくれている。

まとめと今後へのステップ

このような読書方法(遅読と呼ばせてもらう)は、一見、効率が悪いと感じるかもしれないが、実は理解を深め、知識・知恵を確実に身につけるための効果的な手段である。小学生の時に感じた焦りや劣等感は、今では自分自身の読書法(遅読)を確立する上での貴重な一部となっている。そして(繰り返し述べるが)私は、読書が単なる情報の収集以上のものであることを学んだのである。それは自己成長の手段であり、新しいアイデアに触れ、深い洞察を得る方法でもある。

このnoteは、読書の方法に悩むすべての人に向けて書いてみた。読む速さよりも内容の理解に重点を置き、自分自身にとって最も有益な方法を見つけ出すことが、真の読書の喜びにつながると強く思う。そして、この私の読書法が誰かの助けになれば幸いである。

アナタもアナタなりの読書の方法を見つけ出し、これからも読書の喜びを楽しみながら暮らしていただきたい。


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