月は今でも明るいが…(廉頗と四天王とバイロンの詩)
ハインラインの未来史や、アシモフの銀河帝国興亡史などのSFを読みこんできたせいか、「歴史もの」と「戦国もの」は別物というのがわたしのスタンスです。
実在、または架空の歴史をベースに長期的な視野で描いた物語と、戦国時代という範囲を限定した一時代のみを切りとって描いたそれとでは、コンセプトや構成もさまざまに異なるのでは?
戦国ものや合戦ものには、ほとんど興味なかったわたしですが、じつは『キングダム』だけは別なんですよね。
ほとんどの戦国もの、歴史ものに登場する女性キャラは、後方支援か留守部隊が定番設定だったりしませんか?
腕に自信がある女性が男に混じって戦う場合でも、敵と戦う以前に、女性はまずは仲間たちに認められることじたい難しかったりしますよね。
でもキングダムの女性キャラの扱いはちょっと違うのです。
『キングダム』には女性が武人や軍師として活躍する余地がちゃんとあるし、彼女たちがそうする動機も経緯もすべて用意されているのです。
実際にはここまで上手くはいかないだろうけど、『キングダム』の作者は、彼女たちを「女はさっさと結婚して妻となり、家で子供を育てて留守番していろ」なんてふうにそこだけ史実や現実に忠実には描かなかったのです。
じつのところ、役割的には彼女らが女性である必然性はなく、「女が絡むと面倒くさい」と考えるようなつまんない作者なら、女性を排除したお馴染みの設定で片付けていたんじゃないでしょうか。
が、『キングダム』はもともと「下僕の少年が天下の大将軍を目指す」という壮大かつムチャブリな設定なのです。
そこにもうひとりかふたり…頼りになる女性をまぎれこませても、史実とフィクションを上手に組み合わせてあるせいかまったく違和感なくハマったようです。
戦う女性キャラの参入でストーリーの幅も広がり(たぶん)、女性ファンもついたようだから、きっといちばんの天才も先見の明があったのも、作者だった(?)ということなのかもしれません。
そんなわけで、『キングダム』でわたしのお気に入りキャラトップ3を挙げるなら、
① 羌瘣(きょうかい)女性
② 河了貂(かりょうてん)女性
③ 廉頗(れんぱ)おじさん
以上の3名になります。
①の羌瘣は、主人公の信が率いる《飛信隊》の結成当時からの副長で、剣の技量では隊長の信をも上回る特殊な剣術の使い手です。
②の河了貂は《飛信隊》が正式に千人隊となってから新しく隊に加わった、秦(しん)国随一の若すぎる天才軍師です。
今回はこの2名の女子やジェンダーについてではなく、③の廉頗おじさんについて考察していきたいと思います。
廉頗さんは、「山陽の戦い」で魏(ぎ)国の大将軍として信たちの前に現れて秦国軍を圧倒しました。
彼は史実にも登場する実在の人物で、将軍の地位にあった武将です。
廉頗は、かつては趙(ちょう)国の《三大天》と呼ばれる将軍のひとりでした。
趙の《三大天》と秦の《六将》とが、互いにしのぎを削っていた時代が、廉頗が最も活躍した時代です。
この辺りは史実でも、『キングダム』の原作コミックスやアニメでも語られているので、詳しく知りたいひとは各自でそちらをご覧ください。
大体のところはWikipediaでも読むことができます。
さて、史実でもフィクションでも、傑物と呼ばれる臣下をもっているのは、えてして凡庸だったり、愚かな王であるほうが圧倒的に多いようです。
なぜなら王自身が傑物であれば、臣下はひたすらその王を護り、忠誠を尽くすことだけに命をかけるようになるからです。
また、叛意をいだくような馬鹿者や、はねっかえりが現れても、英明な王であればうまくさばいてしまうことでしょう。
そうした王のもとでは、国の基盤や政治も安定して民(たみ)は喜ぶだろうけれど、その王を上回るような傑物はなかなか育ちがたいかもしれません。
いっそ暗愚な王の下にこそ英傑のうまれる隙や必要性が生じるのかも…?
廉頗はまぎれもなく傑物と呼ぶに相応しい人物だったのですが、傑物すぎたせいなのか、それとも別の要因か、残念ながら彼が全てをかけて仕えたいと思うような主君には恵まれなかったようです。
わたしの勝手な意見では、廉頗さんというひとは、気質的に中小企業の社長タイプの人物なんですよね。
異なる時代に生まれていれば、自分で会社を立ち上げて、どこまでも殿(社長)についてくる四天王のような幹部社員を集めて育成して、一代で成り上がって大成功した、ものすごいワンマン社長なんかになっていたかもしれません。
大企業でなく中小企業としたのは、大企業の社長はワンマンを売りにしていてはつとまらないし、意見や助言や苦言を呈する者たちの人数が多くなりすぎると、あんまり廉頗さん向きではなさそうだからです。
がしかし、彼が生きていたのは、食うか食われるかの戦乱の世でした。
そこでは戦(いくさ)に強いことこそが正義であり、武人として栄達することこそが名誉と見做され、財産や地位を約束してくれるものでした。
また、戦で勝利するためには、どうあっても将軍や大将軍となる必要がありました。
勝ち続けて位が高くなっても、一緒についてきて戦ってくれる兵士がいなければ、将だけで戦はできません。
名実ともに大将軍とならなければ、万単位の兵を率いて戦うことはできないのです。
ゆえに、この時代は誰もがどこかの国に仕えて戦で勝ちつづけて立身出世を望むか、商才のある者なら商人として成功するか、でなければまったく自由のない奴隷まがいの下僕や、それよりはマシな農民として一生を終わるぐらいしか選択肢はなかったのです。
しかし廉頗は、おのれの仕える王があまりにも愚かであることに、どうにも我慢がならなかったようです。
暗愚な王に見切りをつけて趙を捨て去り、亡命先の魏(ぎ)でも将軍待遇の武将として迎えられていた廉頗さんでしたが、絶対に敗けちゃいけない「山陽の戦い」で、彼はまさかの敗戦を喫してしまうのでした。
この敗戦の責任を取らされて、廉頗は魏を追放され、今度は楚(そ)へ亡命し、そのまま楚で亡くなったとされています。
アニメ2期では、この「山陽の戦い」がメインに描かれて、趙からずっと廉頗に付き従ってきていた四天王のうちの半数がここで失われることになりました。
じつはこの四天王は、史実では存在しなかったようなのですが、ここは存在したことにして話を進めます。
ここで失ったのが、玄峰(げんぽう)と輪虎(りんこ)のふたりだったことは、たとえ廉頗が敗北感はさほど味わっていなかったとしても、拭いきれないほどの喪失感を彼にもたらした可能性は高そうです。
玄峰は作戦参謀として長年廉頗の傍らにあった存在でしたし、輪虎は幼き頃より玄峰や廉頗に学び、単身での暗殺から大軍を率いての戦闘まで何でもこなすまでになったまだまだ若い将軍でした。
四天王の四人それぞれに才覚を認め、同じように信頼し、目をかけてきたのだとしても、いちばん付き合いの長かった玄峰爺さんと、ほんの子供の頃から成長を見守ってきた輪虎のふたりは、廉頗にとって、やはり別格だったように思われるのです。
相手が廉頗だろうと、遠慮なく憎まれ口をたたいたり、平然と口ごたえするような者は玄峰ぐらいでした。
見た目はとても三十過ぎた男には見えなかった輪虎のほうは、将軍となった後も、いつまでも子犬のごとく廉頗にまとわりつくような愛嬌のある存在でした。
この両者に比べれば、残るふたりは真面目で礼節厚く、よほど武人らしい武人であったように思われます。
こうした背景があれば、玄峰に続いて輪虎までも失った廉頗が、どんなまぐれで輪虎を討ち取ったのかと、見るからに若輩者の信に容赦ない一撃を振り下ろした気持ちもわかる気がしますよね。
楚へと渡り、晩年を不遇のうちに過ごすことになった廉頗は、密かに趙へと戻ることも考えていたようです。
けれど、趙にいた頃から廉頗と不仲だったという、名前以外はろくに記述も残っていないような奸臣の謀略によってそれを阻まれた…と、史実にはあります。
器が大きく、豪快な武人であった反面、それゆえに取るに足らない少人物の恨みを買うことなど気にも留めない言動が仇となって、結果的に足をすくわれることになったのでしょうか。
楚へと亡命を重ねたものの、「山陽の戦い」の時点でも、廉頗はすでに老齢に差し掛かっていました。
史実では楚でも将軍に任じられはしたものの、もうその後は戦場に立つこともなく病没したとあります。
彼は、楚での無為に過ごすほかない退屈な日々を、どのような心情で耐えつづけていたのでしょうか?
昼間はまだ気持ちがまぎれていても、夜になると、酒を飲むぐらいしか他にすることもなさそうな時代なだけに、夜空の月を眺めて、在りし日の部下たちの姿や言葉を思い出すことも少なくなかったかもしれません。
そんなふうに廉頗が、もうこの世いない部下たちのことを思い返して月を眺めただろう姿を想像するとき、わたしは、バイロンの『月は今でも明るいが』という詩を思いだすのです。
われらはもはやさまようまい
こんなにおそい夜のなかを
心は今でも愛にみたされ
月は今でも明るいが
つるぎは鞘よりあとに残り
心は胸よりながもちする
心臓すらも憩いを求め
愛そのものも休もうとする
夜は恋する人のため
昼間はまもなく戻るけれど
われらはもはやさまようまい
月の光のそのなかを
わたしがはじめてこの詩と出会ったのは、バイロンの詩集ではなく、レイ・ブラッドベリの《火星年代記》の中でした。
月明かりの中、誰もいない火星の街を進みながら、探検隊の一員であるスペンダーが隊長に説明します。
「バイロン卿、19世紀の詩人です。この町にぴったりで、火星人の気持ちをそのまま言いあらわしたような詩を書いたのです。火星最後の詩人でも書きそうな詩です」…そう言って、彼は静かにこの詩を口ずさんだのです。
スペンダーは火星探検隊のメンバーの中では少し異質な存在でした。
仲間はみな火星到着を祝って酒を飲んで酔っ払い、馬鹿騒ぎしたくてうずうずしているのに、スペンダーは火星についた最初の晩に騒々しくするのは、火星人への冒瀆だと考えていました。
このとき火星では、スペンダーたちよりも前に火星を訪れた探検隊が持ち込んだ地球の伝染病が原因で、火星人はほぼ絶滅していました。
スペンダーの目に映る火星は広大な墓場で、すでに文明は死に絶えているようでした。
だから最初の夜を静かに過ごすことは、これは単なる礼儀というものだ、と考えるような、スペンダーは人物だったのです。
ブラッドベリは、第二次世界大戦を体験した後で発表した『火星年代記』の物語のなかで、何を想ってこの詩を引用したのでしょうか?
彼はハインラインと同じアメリカ人SF作家で、日本人のわれわれが自国の戦国時代の歴史をよく知っているのと同じくらい、アメリカの建国の歴史を詳しく知っていたはずです。
コロンブスがアメリカ大陸を「発見」したあと、すでにその地に住んでいた原住民がどうなったのか、どうやってアメリカ大陸に人々が集まり、どんな戦いの末にアメリカ合衆国という国となったのかという「歴史」をです。
人類の歴史は、そのまま「戦争の歴史」です。
『火星年代記』では、火星を直接的に滅ぼしたのは地球人が持ち込んだ伝染病でしたが、それがなければどうなっていたでしょうか?
伝染病で絶滅してしまうまで、招かれざる客を受け容れようとはしなかった火星と、執拗に探検隊を送りこみつづけた地球とは、やはりいつかは武力による衝突を避けられなかったのではないか…そうわたしは思うのです。
『キングダム』の信や廉頗が活躍した時代も、戦いによって土地や財産を奪い合い、他国を攻め滅ぼし、中華統一の野望の実現に全てを懸ける人々がいて、その一方には何もかもを失って、国ごと滅ぼされる側の人々もいたのです。
史実では、亡命先の楚で病没したとされる廉頗の死の詳細は、あまり明らかになっていないようです。
かれが晩年をどのように過ごしたのか、折にふれてわたしは考えます。
敵将であったのに、亡命した廉頗のもとへ平然と訪ねてきた王騎のような友も、玄峰と輪虎もすでにいません。
すっかり年老いて、他に何もすることがなく、夜ごと月を仰いで酒を飲みながら、そんなとき廉頗は、どのような物思いにふけっていたでしょうか。
夜空に月を眺めて、晩年の廉頗の姿に想いをはせるとき、わたしは、史実や『キングダム』には描かれなかった廉頗の想いを、そこに垣間見るような気がするのです。
バイロン卿の詩は19世紀につくられ、『火星年代記』は20世紀に書かれました。
紙の代わりに木簡を用いているような『キングダム』の時代よりも、どちらもずっと後のものです。
それでもわたしは夜空に月を眺める時、そこに年老いた廉頗の姿と、バイロン卿の詩の両方を重ねてしまうのです。
かれの目に、月は昔と変わらず、明るく映っていたでしょうか?
かれは、中華が統一されるまで生きて、それを見ることができたでしょうか?
そうであればいいと思いながら…。
〜おまけ〜
アニメ『キングダム』1期2期は、どちらも39話と最近のアニメにしてはかなり長いです。
中断をはさんで、約1年ぶりに再開したアニメ3期の放映開始に合わせて、わたしはGWに一気見したのですが、たとえ目が死にそうになってもアニメ『キングダム』はおすすめです。
まだ観てないなら試しに観てみてはいかがでしょうか。
もちろんずっと先へいってる原作も、1冊読めば大人買いして読みたくなる…それが『キングダム』という作品なんですよね。
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