1994年9月 ブーメラン的なパリ日記1
【前書き】友人Nとの1994年9/21~9/26までのフランス・パリ滞在記。
Nとは前回1993年9月のタイ・バンコクアユタヤ以来の国外旅行だった(国内は日帰りを主としてよく一緒に出かけていた)。
またまた仕事の休みを合わせ、今度はヨーロッパかなーと相談して、またまた格安のアエロフロート往復航空券を取って、宿は現地調達、という事にして出発。
お互いフランス語ほとんど分からないし、おフランスなんて柄じゃないよねって感じなんだけど、学生時代にはふたりとも油絵を学んだということもあって、やっぱり美術館できるだけ行こう、と精一杯動き回りました。
(当時1フラン18.6円前後だけどざっくり20円程度で計算していました)
【まとめ】その名も「ブーメランツアー」というあやしげなツアーでパリ行きの往復航空券を申し込み、飛び込みでパリへ。乗り物の遅れにも割り込みにも負けず、真夜中の宿探しとパリ一泊目に至る道のり。
9月21日(水)
7:25 ひかりで静岡発。混んでいた。
9:00 N'EX 途中で何故か止まり、ドキドキ。12分遅れで成田第2空港に着。手続きは滞りなく進み、ひと安心。
12:00発予定 SU526。アエロフロートのエアバス「チャイコフスキー」。
なぜかこれも遅れていた。
13:30 離陸。パリ着が何時になるのか、宿はうまく取れるのかちょい不安になったが、まあいいか。
今回の目標、ルーブル、オルセー、オランジェリー、近代美術館が見られれば!
その後の軽食ではエビの何かとカレーマヨ和えの何か。不思議な味。
こんな髪型の乗客がいて、とても素敵なんだがどうにも目を離せなくなってしまう。ロシアン・ヤワラちゃん?
現地時間18:00頃モスクワ着。
18:30 乗り継ぎ。今回はDuty Freeがちゃんと開いていて見られた。買おうと思えば買えたかもだが、心に余裕がなくて素通り。
19:30 離陸。
途中で一度、大きめの食事が出る。
鶏肉塩グリル、サフランライス、グリンピース添え。塩が利いていて熱々で旨かった。他にきゅうり小口切りとカニカマの和え物、小ケーキはスポンジがしっかりしていてバタークリーム、黒パン、プチ丸パン、胚芽クラッカー(ふすまっぽい)。
夜のフライトはとにかく眠気を誘う。
23:00頃 パリに向けて降下始まる。
空から見る夜のパリ近辺は思いのほか地味。オレンジと緑がかった白い光が主にみえる。
現地時間21:00 着いて気づいたがシャルルドゴール空港1(un)に到着。ここまでで結局遅れは40分にまで縮まっていた。
空港の斜めエスカレータはかえってキケンでは?おばさんが突き飛ばされていたり、荷物が転がったりしていた。
入国審査はかなり混み合っていて、行列があるようなないような。ここに、割り込みじょうずのいかにも「パリには慣れてんの」風オバハンにぐいぐいと割り込まれ、先に進まれてしまった。
白の軍手(使い古されている)、無理やり体型を収めた黒のタンクトップ、髪は長く茶と黒とのソバージュ、顔はあんがい老けていた。
荷物受け取ってゲートも抜けるとシャトルバスにはすぐに乗れた。
(この頃には周りにほとんど日本人らしき姿はなかった)。
バスでRERの駅に着く。ibis、Hiltonの看板がでかでかとみえたが、もう少し街なかに近い方がいいだろう、とGare du Nordまでの切符を買う。33フラン。(660円)
電車もすぐ来た。
22:42 パリ北駅着。真夜中やんけ!
店はほとんど閉まっていたが、両替所が開いていた。窓口はきれいなマドモアゼルだがさすがに愛想がない。それでもテキパキしていて、700フランのT/Cが670になるが、それでもなんとか手元に現金ができた。
さて宿に電話しようとしたが、カード式。しまったテレカ無いや! と、そこにいかにもアヤシゲなおっさんが寄ってきて英語でどうしたの?と。電話をしたいのだが、というと、あー、と笑ってテレカを貸してくれたでは。
一軒目は、今夜はすみません満室です、と流ちょうな英語。二軒目はなぜかつながらず、おっさんは電話の少し離れた脇で待ってるし、どうしましょう。
受話器を置くと、どうだった? と訊くので、だいじょうぶです、ありがとう、と丁寧に礼を述べテレカを返して(小銭を渡したかどうか記憶がない)「めるしー、めるしーぼくー、おーぼわー」と手を振ってふたりで急ぎ足でその場を去る。
もしかしたら単に親切なホームレスの紳士だったかも。本当にすまん。
5分ほど歩いて開いていそうな宿をみつけた。Magentaというらしい。
(後に確認したら、Grand Hotel Magenta)
フロントは男性ひとりきりで、英語がちょっと通じない感じ。無理矢理フランス語を話せる風で「しゃんぶるぁどぅりー(ふたりべや)?」と問うと、どうも「いつ?」と聞かれたようなので「せそわ!(こんや)」と言ったらあっさりいいよ、ってことになった。部屋を見せてもらう。
セミダブルのベッドか、と思い奥を見ると更にベッドのある部屋がつながっている。シャワー付きでなんと一室296フラン(うち朝食がふたりで40フランなので実質256)。トイレは外だが、贅沢な広さだった。残念ながら明日夜は予約が入っているとのことで、いいです他を探すから、ととりあえずそこに落ち着く。
家具がいちいちアンティークじみている。
フロント横には真っ暗い筒みたいな暗がりがあって、唐草じみた鉄製の柵みたいなドアがついている。そこがリフト。ふたり乗ればきゅうきゅう。ひとりずつ乗って上がる。
今宵の目標は23:30までに宿に入る、だったがほぼ目標達成だった。
ふう~、良かった。
(2024.5.27 驚いたことに、Googleのストリートビューで同じ場所をみたら同じ建物があった。)
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