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グロテスクさが傑作になった。映画「鬼太郎誕生~ゲゲゲの謎~」感想【ネタバレあり】
11月23日にTジョイ東広島で映画「鬼太郎誕生~ゲゲゲの謎~」を見て来ました。
私はゲゲゲの鬼太郎をそこまで見ていなかったのですが、ネット上の評判の良さに終戦からすぐに時期でミステリー作品に仕上がっていると言う感想を見て、見てみようと決める。
見た感想は満足できた面白さでしたね。
期待のハードルが低かったせいや、作品の雰囲気が好きなのもあったけど、満足感が高い面白さでした。
ただし、内容はグロテスクさがかなりあったけれど。
戦後日本と因習村
作品の舞台は昭和31年(1956年)だ。
「ゴジラ-1.0」でゴジラが東京に上陸した昭和22年(1947年)よりも後だ。
サンフランシスコ講和条約で連合国軍による占領が終わり、本格的に復興へ向かう頃の時代
前向きになる時代であるものの、主人公の一人である水木は、戦争中に玉砕を生き残った記憶を引きずる。
とはいえ、逆に戦争を生き残った事で成り上がろうとする野心を持つ逞しさがあって主人公として好きなタイプだ。
訪れた哭倉村は交通機関が通じていない、タクシーでも村の手前までしか行かない。
まさに外部と切り離されたような村だ。
見知らぬ外の人間である水木に警戒してか村人は引っ込みつつも、家の中から覗いているような描写がある。
因習村の描写として満点だ。
哭倉村は龍賀一族が支配する。水木は龍賀時貞の葬儀に参列するものの、集まる龍賀一族関係者から白い眼を向けられる。
時貞の遺言によって後継者に指名された時麿、公家のような恰好をして顔まで白粉を塗っている妙な人物
荒れる分家などの一族衆、「私の取り分は?」とのんきな時貞の次女
カオスと化した葬儀会場とまさに犬神家の一族のような作品が好きな私にとって、ここまで「いいね」となる展開
そこへ時麿殺害の容疑で捕まったゲゲゲ郎が水木と出会い、物語はより面白くなった。
残酷・グロテスク!そこが良い!
跡継ぎに指名された時麿が殺され、次に次女の丙江もと龍賀一族が殺され、混沌とする展開
龍賀一族の内情に首を突っ込む水木はまさに人間らしさを捨て、一族を栄えさせる龍賀一族の真相を知る。
殺人によるグロテスクな描写に加え、孫である沙代手を出してまで自身を生き永らえさせたい時貞と言う精神的なグロテスクさ
時貞がそうであるから、巻き込まれる一族をはじめとする悲劇が直接描写されなくとも察せられる。
そして血液製剤Mの原液は狂骨化した人間たちから搾り取って製造していたと言う真相
しかも序盤で登場する咳き込む少女も狂骨化して原液を取られている。それを見て悲しむ狂骨化した母親
まさに鬱展開が後半から加速をつけて続いて行く。
見て辛いが、そこを打破しようとする水木とゲゲゲ郎の動きが光明となって際立つ
終盤で時弥の魂が救われる場面は正直泣けた。
最悪の中で残った少ない救い、そこに辿り着くまでが「鬼太郎誕生」の面白さだと思います。
考察と言いますか、思った事
哭倉村の描写で屋根瓦の無い家が多く見えた。
一部藁ぶき屋根もあったが、瓦が屋根にあるのが龍賀一族の屋敷に、旅館や商店を営む家ぐらいしかない。
なんとなく、龍賀一族と住民との格差を感じるような気がするのは私だけだろうか?
商売を営むなど、村で何らかの役目がある者は屋根瓦を許され、そうではない普通の住民は瓦なしの屋根なのかなと。
終盤、魂が鬼太郎によって救われた時弥
その魂が天へ向かう前に現れたのが、母親である長田庚子ではなく、沙代に見えた。
だとしたら、時弥は沙代と時貞の子ではないかと思える。
どうも夫婦らしさがない長田夫婦を思えば時弥が時貞と沙代の子であるのも不思議ではないが、最後まで鬱展開に抜かりなしは恐るべしの演出だ。
それにしても、沙代はFataの間桐桜だよなと思えてならない。