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「スロープ下」今昔物語(後編)

「いつも何の本を読んでるんですか?」


ある日たまたまスロープ下で強面の先輩と二人きりになった時に仕事以外で初めて話しかけた言葉である。

何故そのフレーズが出たのかと言うと、強面の先輩は以前からトラックで待機している時に運転席で本をよく読んでいるのを見た事があるからだった。

この月並みなフレーズを皮切りに強面の先輩とは急激に距離を縮め、その日以降、来る日も来る日もスロープ下での観念的対話が繰り広げられる事になった。それは以前から待ち望んでいた至福の時でもあった。

強面の先輩は博覧強記だった。対話を重ねる度に自分の無知を思い知らされた。だから必死に食らい付くべく書物を読み漁った。先輩の築いた「知の山」を踏破すべく登り続けた。だが、「知の山」の頂きはいつまでも見えてこなかった。

観念的対話に明け暮れてから1年も経過すると、その手の話に興味を持つ同士も集う様になり、スロープ下は熱気を帯びた哲学サロンの様相を呈してきた。

仕事の合間は勿論の事、終業してからも夜中まで永遠に話し込む男達の姿は傍から見れば異様な光景であっただろう。結果的には入社時に抱いていた伏魔殿のイメージを自らが構築していた訳なのであるが、以前よりも毎日が充実していたのは確かである。


たが、物事には必ず始まりと終わりがあるように、哲学サロンも永遠に続く事はなかった。


強面の先輩が体調不良を理由に突然退職したのである。

それだけではない。哲学サロンを構築してきた同士の殆どが次々と退職していったのだ。

折しもその頃は自己保身を最優先とするセンター長が会社を牛耳っており、ドライバーに対する容赦ない締め付けが日常的に断行される中、給与の改善が無い事も相まって失意と閉塞感に苛まれた大量のドライバーが退職していた時だった。

それ以降、哲学サロンを構築していた同士の殆どを失ったスロープ下は予想通り、以前と同じく唯物的な会話で溢れる場所になってしまっていた。否、あるべき姿に戻ったと言った方が正しいのかも知れない。

現在のスロープ下は最初に書いたように喫煙所を撤去され、それと同時に人がその場所に滞在する事も無くなった。「知の巨人」だった強面の先輩や同士達、伏魔殿の印象を植え付けた先輩も、もう居ない。

当時を思い返すと、深夜に運送会社の一角で「死」や「存在」について語り合う光景はシュールでしかなかったが、哲学サロンと化していたスロープ下での様々な対話は、私にとっては読書や思考の幅を確実に広げてくれた貴重な経験そのものであった。

例えば「何故、本を読むのか?」という問いに対する自分の答えとして

「自己の無知を自覚し続ける故に読む」


という考えは強面の先輩との対話において構築されたものである。読む事も大事だが、対話する事で新たな発見や驚きがある。プラトンはとっくの昔にその事を見抜いていた。

皆にとって何の変哲もないスロープ下は私にとっての伏魔殿であり、初めて彼我の懸隔を感じた場所であり、観念的対話が飛び交う哲学サロンだったと感慨にふける事があるのも、恐らく会社の中で誰よりもスロープ下に執着を持っているからなのだろう。

誰もいなくなったスロープ下を毎朝眺めつつ、今日もトラックを転がす。

己の無知を自覚しながら。

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katumisa
最後までお読み頂き有り難うございました。 いつも拙い頭で暗中模索し、徒手空拳で書いています。皆様からのご意見・ご感想を頂けると嬉しいです。