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書評 「猫の手くらぶ物語」 色川大吉著

 9月7日に永眠された、近現代史の歴史家。『明治精神史』 黄河書房(東京)、1964年。 のち『新編 明治精神史』 中央公論者 『日本の歴史21 近代国家の出発』中公文庫 『明治の文化』 岩波書店 『自由民権の地下水』 岩波書店等の著書で、歴史書としては異例の400万部以上のベストセラーを出した歴史家でしたが。今回は晩年に八ヶ岳の麓で過ごされていたころの、日常のエッセイを読んでみました。
 若いころに、肺の半分を切除して長生きを出来ないかもと、ご本人も思っていたようでしたが、1997年ころそれまでの多忙がたまって体調をくずされて、「肝がんの進行を食い止め、最後の仕事に集中するために」病気療養を考えて、西洋医学の化学療法を避け、東洋医学と食事療法などで免疫力を上げるための転移だったそうです。
 現役の大学教授時代のハードなフィールドワークの癖が抜けずに、転地療養中も「バカにつける薬はない」と、言うほど活発に地元の人々と交流していたエピソードが「猫の手くらぶ物語」に書かれている。
 交流したほとんどの人が第一の人生を終えて移住してきた新住民、一人暮らしか夫婦二人世帯の人なので。犬の散歩・病院や駅までの送り迎え・庭仕事・薪割り・料理手伝い・パソコン指導・留守中の鉢への水やり等何かと不自由することがある。それを助け合うために作った会を「猫の手くらぶ」と名付けたそうです。会則なし、会費なし、会長なしの組織だが、信頼関係は厚い。会員の前身は、本人が言わない限り、聞いたりしないしきたりなので誰も知らない。お互い過去を聞かない、自慢話は自戒する、詮索好きの人は敬遠される、「要するに今ある人柄を尊重する大人のクラブなのだ。」
 喜寿を過ぎてからの新しい生活に寂しさを感じながら、地元の人々との新鮮で純粋な出会いや、スキーをして大けがをしたことなど、楽しくなるエッセイでした。
 色川氏は、千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館の総監修者として、歴史民俗博物館を残したことでも知られている。晩年、講演会で博物館の設立経緯を話されていた、概略下記のような経緯だったように記憶している。
 当国立歴史民俗博物館設立計画があった時、色川氏の東大時代の同級生であった、文部省トップから、総監修者へ着任の打診があり。
 「俺みたいのに、依頼するとお前の首が飛ぶだろ」とことわったが、
 「俺はもうじき、定年退官だから心配ない」
 当時、水俣病の調査で、水俣へ通い詰めていた色川氏が
 「今、多忙でとてもじゃないが時間がない」
 「いや、暇な人間はいくらでもいるが、忙しい人間はそうそういないんだから」と、何度固辞しても最後は。
 「全て、まかせる、お前の好きなように監修してくれ、文部省は口出ししない、最後に何か残したいんだ」と、いって押し切れれてしまったという。
 民衆の下から目線で、歴史・民衆史を観察する博物館として機会があれば、ぜひ一度は行ってみたい歴史館です。

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