それ、相手に無意識に合わせているのかも
人とのコミュニケーションで「どうしてこんなことを言ってしまったんだろう」と落ち込むことってあると思う。
そうなったとき、自分の性格がそうさせてしまった、とか理由を考えていくことが多いのだけど、もしかしたら相手が自分のそういう面を引き出したのかもしれない。
人間って「〇〇な人」と一言で言い表せる存在じゃない。
いろんな面があって、人によって無意識に役割を変えていたりする。
自分にとってとても嫌な人が、明るい隣のおばちゃんの前では害のない明るい人になっていることがあるのと同じだ。
先日出会ったのは、とにかく率直に正直に接してほしいと迫ってくる人。
適度な距離をとりたくてあえて言わずにいる私に対して
「どうして?どうして言えない?言ってほしい」と追い込んでくる。
最終的に「そういうところがめんどくさいから言いたくない」と一番言ってはいけない(と思われる)ことを言ってしまった。
あーあ。やってしまった。
どうして私はこうなんだろう、、、
と最初は思ったんだけれど、でも、私を追い込んだのは相手だったりしないか。
「正直」「率直」というのは時に残酷だったりもするのに、それを求めているのはまさに彼だったのだから。
もしかしたら彼は「自分探し」をするために人を利用しようとしていたのかもしれない。人がどう思うかで自分の位置を見つけるというのは他人軸でとても危険だ。
もしかしたら彼は「自分には価値がない」と思っていて、価値がないように接してくる相手を探していたのかもしれない。私はその役割を演じさせられたわけだ。
自分が心底思っている自分の姿を、相手は相手役として演じてくれる。それが人間関係の役割だ。
そう、人間関係はただの役割だ。
と強く思った。
そこから何を学ぶのか、に繋げられる役割もあるし、一緒に楽しく何かを創造する役割もある。
(まぁ事故のように、関わるはずのないところに関わるところもたまにはあるが)
「自分はありのままで価値がある」と思えているなら、誰かがどう思っているかを問いたださなくていい。誰かにその役割を演じてもらっているのが嫌だと思うなら、自分の発信をまずは変えればいい。
大切にされたいなら、堂々としていればいい。
自分を大切にすることが、相手から大切にされることなんだから。
なんだか言葉にすると薄っぺらいな。うまく言えないな。
でもこれが腑に落ちると最強なんだ。
とにかく、役割を演じてしまったな、、って時は、「気にしなくていいのかも」ってことを今は感じておけばいい。