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高2で偏差値38、理系、学年最下位だった私が慶應に逆転合格した話
前回の記事はこちらから読めます
https://note.com/katsuya_jsc/n/n701a043fec77?sub_rt=share_pw
ここまでのあらすじを簡単に
中1 入学、そこそこの成績
中2 コロナ期間に全く勉強しなくなり、学年順位が約100位落ちる
中3 生物にはまる、成績は学年下から10番に
高1 文理選択を完全にミスる、数学がミリもできないのに理系を選択 学年順位は最下位に、そして生徒会長選に落ち転校を考える。
高2 理系の授業が始まる。でもすぐに文転を決意する。夏の終わりに塾に入り猛勉強を始める。12月に志望校を慶應に決定。それに伴い独学で日本史をやる決意をする。
精神大荒れ期
12月、思いもよらない話が耳に入ってきた。
私以外の学校外の友達の大半が指定校推薦で入試がすでに終わっているというのだ。いくら友達といえど、受験真っ最中の時に友達が指定校推薦で終わっているという話を聞くのは快いことではない。(心が狭くて申し訳ない。それくらい追い詰められていたのだ)そこから、こんなに頑張っているのに指定校の人より低い学校になったらどうしようと追い詰められ、精神状態がどんどん悪化した。特に、私の受験プランは共通テストで8割を切ったら崩壊する。
絶対に共通テストを取らないとという緊張で、毎日泣き叫びながら勉強していた。
でも、どうしても国語ができなかった。英語は9割が安定してきていたし、日本史は歴史総合を重点的に勉強してなんとか8割くらいは取れるようになっていた。国語はどうやってもよくて7割、普段は6割くらいしか取れなかった。
国語で悪い点をとり、泣き叫びながら共テ問題集を破り捨て、机を叩くという奇行を繰り返し、母も心配のあまり「そんなに辛いなら受験やめていいんだよ、死なないで」と言い出した。国語で6割なら他の科目で9割取ってやっと8割。正直上智の共テ併用は8割では厳しい。なのにその8割もクリアできない自分が嫌だった。
12月は志望校決定の最終三者面談もあった。もちろん参考にするのは第3回全統記述模試。私が偏差値53を取った模試である。慶應どころか、MARCHも全部E判定だった。学習院でやっとD判定だった。MARCHはチャレンジ校と言われたのがとてつもなくショックだった。共テで8割取れる見込みもないので、女子大を受けるしかないねと言われた。でも女子大の試験は偏差値の割に難しいし記述ばかりだ。本当に全落ちして浪人するんじゃないだろうか。そういう恐怖で追い詰められていた。
どのようにして理系科目の単位を取ったのか
ここで、理系科目の単位について書こうと思う。私は文転したが、学校は文系クラスではなく理系クラスで理系科目を履修することになる。そのため成績は理系科目ですべてつけられる。ちなみに私は文転すると決めてから一切理系科目は勉強しなかった。化学と生物の定期考査は記号問題があるのでそれを適当に埋めればなんとか10点くらいは取れる。うちの学校の定期考査は狂ったように難しいので10点くらいを取る人はざらにいる。なので10点取れれば落単の心配はない。問題だったのは数学。数学はほぼすべてが記述式の問題で、数学を全く理解していない私には過酷すぎるテストだった。微分積分の問題はとりあえず0か∞を書いておけば当たるだろうという発想で、定期考査はすべて解答欄に0を書いて提出していた。そうすると大体5点くらいはとれる。でも高2から高3に進級するにあたって、担任から「さすがにこの点数じゃ単位があげられなくて、私達も困るから頼むから10点取ってよ…」とお願いされてしまった。仕方なく(?)1週間微分積分を猛勉強し、なんとか最後のテストで11点取って無事進級した。
ちなみに恥ずかしい話だが、高3になってからは理系の教科書は触ってすらいない。セミナーもFocusGoldも家に眠らせていた。高3の授業は数ⅢCばかりで点数が取れるはずもなく数学の定期考査は常に0点。0点と3点を交互に取っていた。数学の先生に「卒業考査で0点だと本当に単位をあげられなくて入試直前に数学課題やらされることになるから、頼むから点数を取ってくれ」とお願いされた。でもうちの学校のテストは激むずなので数時間勉強したってどうせ点数は取れないだろう。結局卒業考査の数学もノー勉で挑んだが、奇跡的に最後の大問(大抵一番難しい)の(1)だけすごく簡単な問題なことに気がついた。その問題だけ解けたため、なんとか卒業考査の数学では1点を取ることができた。0点じゃなきゃ卒業できると言われていただけあって、1点取ったのでなんとか卒業見込みがついた。
(こんなにぬるいのかと感じるかと思うんですが、私の高校の数学の試験は誰でも解ける基礎問題のようなものがなく、大問1から一橋の過去問を出してくるような激むず試験であるということは念の為記しておきます)
ちなみに評定平均は2.4だった。まあ、理系科目で成績がつくので仕方ない()
冬休み
冬休みは一日最低15時間勉強していた。起きている時間で勉強していない時間はほとんどないようなものだった。家に引きこもり、冬期講習も一つもとらなかった。私文に休憩は必要ない。脳が疲れたら日本史をやればいいと考えていた。私文志望だったが私の場合とにかく共テが大事だったので、1月からはひたすら共テ対策に打ち込んだ。
一週間前に事件は起こる。なんと、国語の共通テスト問題演習で80点(つまり4割)を取ってしまったのだ。国語で4割を取ってしまえばもうほかの科目がどんなに良くても上智、青学は絶望的。泣き、問題を破り、死にたい死にたいと叫んでいた。この頃の精神状態が一番やばかったと思う。
そこから本番までもう一週間しかない。私は日本史と英語Rを捨て、一週間国語に全振りするという愚行にでた。(リスニングは苦手だったので一応やっていた)この世にある国語共テ問題集をひたすら買い込み、古文単語と漢文単語をとにかく完璧にして、古文も音読した。一日2回国語の共テに取り組んだ。(一週間で12回分くらい国語の共テをやったことになる)
国語は正直直前に上がるものでもないし、無駄になるかもしれないという恐怖はもちろんあった。なにより、慶應に国語はない。それでも共テ国語で4割取って絶望という未来が嫌すぎてひたすら国語に打ち込んだ。
前日も国語を2回やった。両方6割しかとれなかった。
結局私は本番までに一度も共テで8割をとったことがないという状態のまま共テ当日を迎えてしまった。
そして迎えた共通テスト
共通テストは信じられないくらい緊張した。もう震えが止まらなかった。
ここが落ちたら、明治や中央、学習院で国語を使った入試で戦わないといけない。私はその時期、GMARCHの過去問でまだ合格点をとったことが一度もなかった。当日もずっと震えていてひたすらパニックだった。そして一限の日本史が始まった。すると、なぜか始まった瞬間にびっくりするほど緊張が解けた。
あの時自分にもなにが起きたのかわからない。その調子のまま国語、リーディングを終わらせ、リスニングを迎えた。リスニングは得意だった講義の大問が全くわからず、パニクって「これは終わった、6割だ」と確信した。
でもリスニングは最後だったのでメンタル的にはノーダメージだ。
私文3教科なので一日目がおわり速攻自己採点した。
結果はなんの奇跡が起こったのか、当日だけ国語がほぼ8割取れた。
国語159
英語R93
英語L83
日本史82
合計417点
同日体験の5割からしたら奇跡の伸びである。
これまで8割取ったことがなかったのに、当日だけ8割を余裕で超えた。こんなことがあるのだろうか。
やらかしたと思っていたリスニングは講義の大問は案の定ボロボロだったがそれ以外のほぼ満点だったため8割を死守することができた。
念願の上智にも出願でき、後は小論文と総合問題対策のみすればいいという状態だった。マークミスが怖かったので念の為学習院と明治大学政治経済学部も受験することに。
いよいよ私大受験へ
1校目はなんと上智大学。英検を持っていなくて加点がないので、上智の総合問題はミスが許されない。ただでさえ83%では共テ併用C判定だ。でも共テと違って、次がある!と思うことができたので緊張しなかった。
二日目の上智は新聞学科で、そのために時事問題を猛勉強していたが、いざ試験が始まると時事問題が難しすぎて全く解けず撃沈、小論文も序論と結論が全く違うというかなりカスな小論文を書いたため不合格を確信した。
他に受けたのは学習院法学部、明治大学政治経済学部。明治政経は国語が終わった時点で不合格を確信し、帰ってやろうかと思った(ちゃんと日本史でもボコボコにされて見事に落ちた)
そして迎えた慶應本番。
商学部はとにかく英文量が多い。
過去問20年分やったが、一度も時間内に解ききれず、6割しかとれていなかった。でも私が受験するのは数学を使わないB方式なので英語は7割は最低でもないと絶対受からない。なにより商学部B方式は慶應文系最難関とも言われるほど倍率が高い。名目上の倍率はなんと25倍。
でも当日なぜか全く緊張せず、超リラックス状態でのぞみ、過去一の集中力を発揮、初めて英語も解き終わった。
もしかしたら、商学部わんちゃんあるかもと思い始めた。
日本史は、頻出の文化史を完璧にしていったのに文化史がなぜかその年だけ殆ど出ず、苦手な江戸時代の経済史がまるまる大問で出て、終わったなと思った。普通に日本史で落ちたと思った。
そして論文テスト、見た瞬間「この問題どこかで見たことある」と思った。
後々調べてみると、2018年慶應経済の小論文の課題文と全く同じ著者、同じ箇所からの抜粋だった。事故なのだろうか?とりあえず穴埋め問題で見たことある文章だったので無双した。計算問題も解けた。
二日目は文学部
文学部は最後まで受けたくないと抵抗したけれど担任に受けろ!!と言われて受けた学部。正直英語の記述が苦手だったのでまあ受からないだろうと思い逆にリラックスして望んだ。日本史は大好きな文化史が出まくった。
商学部で日本史大失敗したのでリベンジとばかりに日本史はかなりできた。すべては文化史のおかげ。用語集はやらなかったけど文化史だけ完璧にしてよかったと思った。
三日目総合政策
なんと、文学部新聞学科の過去問で出てきたような文章と同じような内容の文が英語で出た。これは勝ったと思った。SFC英語は25年分×2で合計50回以上解いたけどどんなによくても6.5割しか取ったことがなかった。でもこれは初めて7割行くかもと思った。
小論文は人間とはなにか述べよとかいういう意味不明な問題で全然解けなかった。
四日目環境情報
環境情報の英語は案の定難しく、こりゃだめだなという感じ。最後の日というのもあって気が抜けていた。寝不足だったので試験中もウトウト。小論文も自信がなくて、でもとりあえずSFCっぽくめちゃくちゃ奇抜なことを書いてやろうと思って自分を100%出し切った個性的なものを書いた。
でもいずれの日も緊張0だったのはとても良かったと思う。我ながら、本番に強いんだなと思った。
合否について
いよいよ合否から。自分の感触的には、文学部はわんちゃんあるかも!商学部は倍率25倍だし日本史やらかしたし無理でしょ、という感じだった。
なので最初は自信のなかった商学部から開いた。これはもう不合格だと思っていたのでまったく緊張せずてきとうに押した。すると目の前に広がっていたのは予想外の文字だった。
合格🌸 え!?!?!私の第一声は「なんで受かったの?」だった。
本当に理解不能だった。商学部B方式は7〜8割必要だけど自分は過去問で6割しか取れていなかった。ただ、おそらく論文テストが満点だったんだろうと思う。
次に文学部。商学部受かったなら文学部はもう落ちてもいいやと思って開くと、これもまた合格🌸
文学部は受かると思っていたけれどやっぱりびっくりする。慶應E判定しか最後までとったことなかったのに、過去問でも一回も合格点取っていないのにどうしてどうして。本キャンが両方取れたんだ。
翌日はSFCの発表があった。SFCは軽量入試とか言われているが倍率が10倍と鬼のように高く入るのは大変難しい。可能性があるなら英語ができた総合政策かなと思っていた。
まあ環境情報は落ちたと思ってこっちも全然緊張せずに開くと、そこには合格🌸の文字が。本当に理解不能だった。え、慶應全勝????
最後の総合政策、これは流れ的に受かるだろと思ったら総合政策だけ落ちていた。補欠にもひっかからなかった。
正直こんなに受かると思っていなかったので本当にひたすらびっくりしている。あまりにも本番に強すぎないだろうか。
合否まとめ
〈共通テスト利用〉
🌸青山学院コミュニティ人間学部
🌸中央大学法学部政治学科
🌸法政大学社会学科
その他多数
ちなみに学校には私の成績的にMARCHがチャレンジ校と言われていたので、共通テスト利用で中央大学法学部が取れた時は職員室でもかなり話題になったそうだ。
〈一般選抜〉
🌸慶應大学文学部
🌸慶應大学商学部
🌸慶應大学環境情報学部
🌸上智大学総合人間科学部社会福祉学科
🌸青山学院大学教育人間科学部教育学科
🌸学習院大学法学部政治学科
補欠 上智大学文学部新聞学科
補欠 上智大学総合人間科学部教育学科
新聞学科は落ちたと思っていたので補欠で驚いた。
最後の全統で偏差値53だった人の結果とは思えない。自分でもこの結果に未だに驚きが隠せない。
ちなみに、明治大学には完全敗北した。共テ利用も、受けに行った明治政経もきれいに補欠にも引っかからず落ちた。
なぜ最後までE判定だったのにこのような結果を出すことができたのか
自分でも正直あまりわからない。本当に受かると思ってなくて。ただ、第一志望の学部が定まってなかったためどの日も別に緊張しなかったっていうのは大きいと思う。
ちなみにどの学部に進学するかはまだ決めていない。
あと、課外活動や生徒会で培ったメンタルが活きていたのかなと。
本番にこれだけ自己ベストを連発できたのも本番への強さが間違いなく関係していたと思う。そして共通テストがうまくいっていたこと。これはかなり精神安定につながった。
国語を使わない入試ばかり受けたのも良かったと思う。私が受験した中で国語を使う入試は学習院と明治のみ。それ以外の上智・青学・慶應はすべて小論文入試だ。
小論文は自己採点できないからこそ合格点が取れているかわからないという不安はあったけど、おそらく小論文がかなりできたからこういう結果になったと思う。案の定、国語で戦った明治は落ちている。
文学部も商学部も環境情報も、英語と日本史の点数だけではいつも6割くらいしかとれていなかったのに合格したのはおそらく小論文でかなり点数を稼げたからではないかと考察している。
実際自己採点してみると、商学部英語は奇跡的に人生最高点の150点だったが、(普段は120点程度)環境情報学部はいつもどおり6割しか取れていなかった。なのでよほど小論文ができたんだろうと。
そしてなにより、家族の協力。ご覧の通りそもそも出願してる数がすごい。数打ち当たるではないけど、これだけたくさん受けさせてもらえたのは受験には金を出すからと言ってくれた家族のおかげである。
いろんな先輩に相談に乗ってもらったし、内職を見逃してくれた先生もいたし、理系クラスの中でひとり文系の勉強をするなんてうざいと思う人もいたと思うが、それでもクラスメイトは受け入れてくれた。応援してくれる後輩もいた。
周りの協力があってこその合格だったと思う。これからも色々な人に感謝の気持を忘れずに過ごしたい。
以上、理系偏差値38から文転して独学日本史で慶應大学商B、文学部、環境情報に合格した話でした。
進学先はもう少し検討します。