
湯舟につかる時にハァーと言ってしまう話 -週刊カツオ #2
湯舟につかる時に思わず声が出るのは年齢のせい?
お風呂で湯舟につかる時にハァーと言ってしまう、カツオです。
特に、寒い季節に「〇〇温泉の素」といった入浴剤を入れた温かい湯舟につかるのは、至福のひとときです。
しかし、若い時は「ハァー」なんて言いませんでした。お風呂で「ハァー」って言うのはオッさんの証だと思っていました。そもそも、幼少期から若いころにかけては、湯舟につかること自体にあまり価値を感じていなかったように思います。
子どものころは、家族と一緒に風呂に入ることが多く、湯舟に肩までつかり、100数えてからじゃないと出られなかったので、あまり良い思い出が無いくらいです。大学生くらいまではお湯をはる手間とお金を惜しんで、もっぱらシャワーで済ませていました。
ところが、30代半ばぐらいからでしょうか、お風呂で湯舟につかることに価値を感じ始め、気づけば「ハァー」と声を出すオッさんになっていたのです。
自分も年代によって価値観が変わってきた
このように、湯船に対する価値観が変わってきたのと似た事例では、幼少期に苦手だった食べ物が、成人してお酒をたしなむようになると急に好物になる、なんてことがあります。
たとえば、納豆は家族の影響もあり、幼少期はほとんど食べることもなく、食べても強烈な匂いで苦手な部類に入っていました。しかし、20歳を過ぎたころ、宴会で出た「いか納豆」(いかそうめんの納豆和え)が美味しくて、自宅でもいか納豆を作り、よくご飯にかけて食べる好物になりました。
また、若手の時、ことわざや故事成語にそれほど思い入れはありませんでしたが、ちょうど湯船に価値を見出したあたりから、身に染みて共感することが増えてきたように感じます。
このように、若い時には理解できなかったことが、年を重ねるとわかるようになってきて、価値観や趣味趣向まで変わってくることは、多くの方が経験されているのではないかと思います。
若い自分のことすら忘れてしまう!?
私だけかもしれませんが、価値観や趣味趣向が変わってくるにつれて、若いころの自分の価値観や趣味趣向を少しずつ忘れていく実感があります。
40代の自分が、20代の若者の流行や価値観、考え方については断片的に知る程度であり、自分も追体験を試みるものの、自分の若い時にどう考えていたか、何に興味を持っていたかは結構忘れていることに気づいてしまいました。
過去を振り返るたびに「なぜ自分はそういう風に考えていたのだろう」と理由が不明な行動が浮かび上がります。その行動前後の事情や状況が記憶から抜けているのですから、なおさら原因の突き止めようがありません。現時点でいえることは、若き自分が選択した行動は、必ずしも誇れることばかりではなく、むしろ穴があったら入りたいと思うことの方が多いということです。
古代エジプト文明の時代から、「近ごろの若いやつはなっとらん」という愚痴が壁画に書かれていたそうですが、自分の振り返りを通じて、ベテランの方が若い人に対して、価値観や考え方の違いにボヤきたくなる気持ちは理解できます。
アンチエイジングからアクセプトエイジングへ
経済コラムニストの大江英樹さんは、新刊「定年前、しなくていい5つのこと〜「定年の常識」にダマされるな!〜」の中で、これからは老いを嫌悪するアンチエイジングではなく、肯定的に受け入れるアクセプトエイジングだと説いています。
これは、定年前の大ベテランの方だけに言えることではなく、働き盛り世代の40代の方にも当てはまる話ではないかと思います。今の20代の人とは育ってきた環境が違うわけで、仕事で若手と面談をする際にも、仕事に対する価値観の違いや世代間ギャップがあることを受け入れないと始まりません。仮に「自分の若いころと考え方が違うなぁ」と感じても、上記のように忘れていることもあれば、人間の過去の記憶は都合よく書き換えられる(美化されたり、イヤなことを思い出さないようにする)らしいので、私は過去の自分の記憶についての信ぴょう性はまあまあ怪しいという前提に立っています。
その前提をふまえて、自分が若いころよりも食べ物の好物が増えたように、若い世代の考え方を理解し、より幅広い価値観を持つことができる大人になっていきたいと思うわけです。
といいつつも、さすがに受け入れがたい考え方もあると思いますので、何でも迎合するのではなく、理解したうえで自分の考えを持つことができる、心のしなやかさを忘れずにいたいと思います。気づかないうちに、「老害」と揶揄されることの無いように。
冒頭の湯船の話から、なんだか大きな話になってしまいましたが、自分が年を重ねて様々な経験をする中で、価値観が変わってきたということを感じ、さらに自分自身の「老い」を認識したことから、ちょっとした戸惑いがあるのが「オッさん」なのだろうと思います。
湯舟につかってハァーと言うたびに、ザ・ドリフターズの「いい湯だな」を口ずさみ、若き日の自分とのジェネレーションギャップを認識しつつ、湯舟の温かさのような日常の小さな幸せを味わえるようになったことに感謝し、かすかに見えてきた「老い」を肯定的に受け入れていこうと考えています。
ハァー、いい湯だな。