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百年の計
再びの沖永良部島です。
(実際には再びどころではありませんが)
用事を済まして、時間がありましたので、地元の方の案内で島内をドライブしました。
のんびりと島内をドライブしていて、ふと気付いたことがあります。
「沖永良部島には耕作放棄地がない」
地方に行けば、人口減少と高齢化、そして耕作放棄地の増加が問題になっています。
耕作、農業の担い手が減り、さらに担ってくれている方たちが高齢化してくるわけですから、耕作したくてもできない状況が増えてくるのも自然の流れです。
沖永良部島も例外ではなく、人口は減り、高齢化が進んでいます。
それでも、耕作放棄地は見当たりません。
不思議に思い、案内してくれていた地元の人に聞いてみました。
「なぜ耕作放棄地がないの?」
「西郷さんの教えです」
その方はさらっと答えてくれました。
(ほんとうに当たり前のように)
ちなみに、西郷隆盛(1828年〜1877年)は生涯で二度島流しを経験しました。
一度目は奄美大島。
そして二度目が沖永良部島です。
西郷さんが沖永良部島に滞在したのは、1862年閏8月から1864年2月までの約一年半(34歳から36歳まで)です。
この時期に、「敬天愛人」の思想を完成されたと言われていますし、牢の中から、島の子供たちに勉強を教えてもいます。
そして、この時の生徒だった子供たちの中から、優れた人材が多数輩出されています。
西郷さんの言行録である「南洲翁遺訓」には、
「政の大体は、文を興し、武を振ひ、農を励ますの三つに在り。其の他百般の事務は皆此の三つの物を助るの具也。」
という記載があります。
こうした記載を見ても、西郷さんが島の子供たちに向かって、農業の大切さを熱っぽく語りかけている姿が容易に想像できます。
西郷さんとの出逢いから170年。
教育の力、西郷さんの力。
今も沖永良部島の方たちの中にしっかりと息づいている西郷さん。
少し胸が熱くなりました。
宗慧