スランプが、過去との比較で解消できた……かも?
今朝から胸騒ぎがすると思っていたら、昼を過ぎても気分は晴れないままだった。ここ最近あまり調子が良くなくてカメラも文章もさぼり気味だ。
それでも今日は、少し予定があって、バスに乗って数時間出かける。そうすれば気分が晴れるかななんて期待もしたけれど、用事が終わるとスグに家に帰りたくなって、そのままバスに乗り込んだ。いつもならそこから散歩か買い物でもしながら帰るのに、今日は全くそんな気分にはならなかった。
家路につけば少し楽になるかと思ったのに、これもまた、全くそんなことはなくって、ざらざらとした不快感が胸を締め付ける。
しばらくバスに揺られて、ふと、車内の掲示板に目を向けると、『祇園』の文字が浮かんでいた。
まだカメラを始めた頃である今年の春に、八坂神社の桜を撮ったのを思い出す。まだまだ何をどうとれば良いのかとも分からずに、それに、相棒のSIGMA『fp』との出会いも果たしていない頃だった。
今なら少し違った八坂神社が撮れるかも。
そう思うとバスの停止ボタンを思わず押していた。家まではまだバスに乗り続けなければいけないのだけれど、ここで降りなければいけない気がした。まだ胸を締め付ける感覚が残っている。このまま家に帰るよりはやっぱりしっかり発散した方がいい。fpも連れ出していて良かった。
一通り写真を撮り終える頃には少しすっきりしていた。それに、家に帰って4月の写真と比較すると、成長と呼べるのかは分からないけれど、質感と言うか、やはり違いはあるもので、4月の写真ははあちゃーと言うものも多い。
↓ 4月に撮った八坂神社の狛犬目線
↓今日撮った狛犬目線
4月のは残念過ぎるけど(笑)、今日のも車の位置とか構図はまだ雑だなと、反省もあったりする。
逆に丸山公園内は、4月の方が、きれいに撮れていたりもした。
↑上が4月、下が今日
下は下で悪くはないけれど、カメラに助けられている部分がかなりあるかなぁ。
手水場? も上が4月。多少違いはあるけれど……腕前としてはそんなに変わらないのかな?
でも、こんなところに目が行くようにはなっている。
最近水があるとついつい撮りたくなってしまう。恐らくfpが暗くても質感をしっかり押さえてくれるからだと思うのだけれど。
もちろん桜の季節の朝方と、秋の夕刻では全然違うものが撮れて当たり前とは思うけれど、それでもやっぱり4月時点では取ろうと思ってもいないものを撮っているなと自分でも感じる。
fpはオートフォーカスが弱いのが欠点と言われていて、確かに自分の欲しいところには中々合わなかったりするのだけれど、その分、マニュアルでピントを合わせることを習得した。まだまだどこにピントを合わせるかは学び中だけれど、面白い画を切り取るにはマニュアルの方が楽しい。
それにしても、今日はなんだか丸山公園のくせに(?)サバンナっぽい画が撮れて面白かったなぁ。
4月との比較は家に帰ってから気付いたことだけれど、八坂神社、円山公園でカメラをあちこち向けているうちに胸騒ぎは次第に消えて行って、今でも原因ははっきりしないのだけれど、でも、きっとこれだろうなと思うようなこともカメラを通してみた気もする。
カメラを通して表現する。
始めてまだ1年も経たないけれど、カメラの上達だけじゃなくて、自分と向き合うツールになりつつあることに驚く。
ここ最近少しさぼっていた文章を書くことも、カメラで写真を撮ることも、自分を知るためには手放せなくなっているのだと、改めて感じられた夕刻のお散歩だった。