ヒタカミのホツマ旅⑦~岩木山神社(出雲と津軽を繋ぐ神様)
この記事は2019年(令和元年)8月に青春18きっぷを使い、東京から仙台、秋田、青森を巡ったときの記録です。「ヒタカミ」とは古代東北地方の呼び名で、「ホツマ」とはホツマツタヱという古代文献の略です。
バイタリティ溢れる能力を発揮したオホナムチ
出雲(島根県)から津軽(青森県)。距離にして約1,300km。古代、縄文と呼ばれる時代にこの2つの国を栄えさせたのがオホナムチです。
出雲を開いた父ソサノヲ(須佐之男命)。その跡を継ぎ、父にも劣らぬバイタリティを発揮したオホナムチ。しかし、タカマ(朝廷)から慢心、増長しているとみなされてしまい、津軽へ国替え。新たな地でも、そのバイタリティを発揮して国造りに励むのです。
そして、壮大で絢爛(けんらん)なウモト宮(アカル宮)が建てられます。ここが岩木山神社だったのではないか、と言われています。
実際に岩木山神社を訪れてみて、湧き上がるような壮大なエネルギーを感じました。まるでオホナムチのバイタリティ溢れるエネルギーに触れているかのように。
この記事では、岩木山神社を訪れた体験記と合わせて、波乱に満ちたオホナムチや父ソサノヲの人生がホツマではどのように記されているのかを書いていきます。
善知鳥神社から岩木山神社へ
善知鳥神社を出たのが午後4時をまわっていました。岩木山神社まで車で約1時間。検索すると岩木山神社は午後5時まで、と書いてある。「今日はあきらめて帰りましょうか?」という僕に、従兄(いとこ)は「取り合えず行ってみよう」と車を走らせます。
岩木山神社へ到着したのは午後5時をちょっと過ぎていました。本来なら1時間ちょっとはかかることを考えたら、それでも早い方。とにもかくにも無事到着。ひとりでは絶対に辿り着けなかったことを考えると、本当にありがたいの一言です。
さっそく境内へ
焦る気持ちを抑えつつ、急ぎ足で境内へと向かいます。
一の鳥居をくぐり、
二の鳥居をくぐり、
三の鳥居をくぐります。
拝殿へ向かう参道はゆるやかな坂道となっています。そして拝殿の先には雄大な岩木山。一歩、また一歩と歩みを進めるごとに、パワフルなエネルギーをひしひしと感じます。
オホナムチと岩木山のエネルギーがあいまっているからなのか、とにかく力強くて雄大。「スゴイな、ここ」心の中で何度も思いながら、拝殿へと向かいます。
青森県の重要文化財となっている楼門。その右手には手水舎があります。
長い柄杓(ひしゃく)で水をくみます。水の重みがズッシリ、と。この水、岩木山の湧水なのだそう。冷たくて、気持ちいい!飲むこともできて登山者が飲料水として利用しているのだとか。
楼門の階段を登り、中へ入ろうとすると、、、上向き、下向きの狛犬が。
中へ入ってみると、、、
やはり、拝殿は閉まっていました。
仕方ないと思いながらも、ここまできて参拝しないわけにはいかないと、閉ざされた中門の前で参拝しました。手を合わせ「参拝のご縁をいただきありがとうございます」とお伝えます。気のせいかもしれないけど「よくきたね」と言われたような気がして、チョット嬉しくなりました。
神社のご由緒によると、岩木山神社の創建は宝亀11年(780年)。岩木山の山頂に社殿を作ったのが始まりとされています。津軽国一之宮です。
御祭神は、
顕国魂神(うつしくにたまのかみ)
多都比姫神(たつびひめのかみ)
宇賀能売神(うかのめのかみ)
大山祇神(おおやまつみのかみ)
坂上刈田麿命(さかのうえのかりたまろのみこと)
五柱の神様を総称して岩木山大神(いわきやまおおかみ)としています。
その奥にある物語、ご先祖様の生きた証を知ること。ホツマを学び、旅をする。その理由の1つはここにあります。
ホツマでわかる岩木山神社の背景をここから書いていきますね。オホナムチと父ソサノヲの波乱の人生に触れて、出雲から津軽国替えの流れを掴んでいただけたら、と。
出雲はソサノヲの苦悩と挫折の末に開かれた国だった
ソサノヲは粗暴な行いが過ぎて罪に問われ、殺されるところをセオリツヒメに助けられ、追放されます。宿もなく、地をさまよい、やっとの思いでネの国サホコ(現在の出雲)へ辿り着くのです。
その出雲の地でソサノヲに2つの転機が訪れます。
1つ目はヤマタノオロチからイナタヒメを助け、妻としたこと。そして子を授かったこと。
2つ目は甥のイフキドヌシとともに、ハタレという反乱を鎮めたこと。
ハタレの反乱の功績を称えられたソサノヲはアマテルカミ(天照大御神)よりヒカワ(氷川)神の称号を賜り、出雲の国を治めるように命じられるのです。
ホツマの9アヤにはこうあります。
サホコクニ かえてイツモの くにはこれ
サホコの国がイツモ(出雲)と呼ばれるようになったのは、ここからです。大きな苦悩と挫折の末に出雲を開いたのはソサノヲだったということですね。
父ソサノヲが開いた出雲を発展させたオホナムチ
オホナムチは大きな苦悩と挫折を跳ね返し、出雲の国を開いたソサノヲの長男だけあって、バイタリティに溢れていたのでしょう。父ソサノヲの苦労を知っていただけに、タカマ(朝廷)を見返したいという思いがあったのかもしれません。
ホツマの10アヤにはこうあります。
オホナムチ みつれはかくる
ことはりか ぬかをたまかき
うちみやと これコゝのゑに
くらふなり
オホナムチ 満つれば欠くる
理(ことはり)か 額(ぬか)を玉垣
内宮と これ九重に
比ふなり
※九重・・・内裏、皇居
※満つれば欠くる・・・絶頂期に達すると下り坂になるという意味
(意訳)
オホナムチが宮の額を玉垣で囲み「内宮」と書き、朝廷の九重(皇居)と比べている。満つれば欠くる(絶頂期に達すると下り坂になる)理のように、慢心しているようだ。
オホナムチは自分の宮を玉垣で囲ったり、タカマ(朝廷)でしか使えない「内宮」と書いたことで、増長、慢心、謀反の疑いをかけられてしまうのです。
タカマより派遣されたフツヌシ、タケミカツチの問い詰めに対し、息子たちに意見を求めるオホナムチ。
クシヒコは「タカマ(朝廷)と争うのは愚かなことです。父が去るなら、共に私も去りましょう」と答えます。一方タケミナカタは抵抗しタケミカツチと戦いますが敗れて諏方へ逃げてしまうのです。
オホナムチは観念して出雲を去っていきます。しかし服従を誓い、これまで出雲を治めてきたオホナムチにも同情の余地ありと、アソベのアカル宮(ウモト宮)を賜ることになるのです。
ホツマの10アヤにはこう記されています。
うつしくにたま
オホナムチ ツカルうもとの
カミとなる
これは「オホナムチが津軽(ツカル)に国を遷(うつ)したこと」を意味します。
岩木山神社の御祭神である顕国魂神(うつしくにたまのかみ)という名に込められた意味をここから読み解くことができますね。
オホナムチと父ソサノヲが現在の僕たちに伝えたいこと
父ソサノヲが苦労の末に開き自分が発展させた出雲を去るのは、オホナムチにとってさぞ辛かったことでしょう。でも、心機一転、新たな地で国造りに励んでいきました。
ここ岩木山神社はオホナムチが父ソサノヲから受け継いだ思いとバイタリティで作り上げたウモト宮(アカル宮)の名残を感じられる場所。
書物に書かれているから正しい、と必ずしも言えないのは確かです。
ただ実際に自分でこの地に立ち、雄大なエネルギーの中に身を置いていると「ここが遙か昔、縄文と呼ばれる時代にオホナムチが生きた場所だ」と感じるのです。もちろんこれは僕が感じている真実。どう感じるかは人それぞれ違うでしょう。
コロナ騒動で世界中の人が「困難」という壁の前にいる現在。多くの人が自分の人生をゼロから見直すくらいの状況に立たされています。
「神は乗り越えられない試練を与えない」
という言葉があります。
実はこれ、聖書からの引用です。
原文ではこうなっています。
「神は真実な方ですから、あなたがたを耐えられないほどの試練に会わせることはないません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。」
コリント人への第一の手紙 10章13節
僕はこの神をホツマでいうタマシヰのタマ(良心)だと定義します。全て自分が生まれる前に決めてきたこと、だと。自分で決めてきたことなら、乗り越えられないワケがない、と。
ソサノヲもオホナムチも自分たちの立場や築いたものを全て失いました。ゼロから自分の人生を見直す。今の僕たちと同じ状況です。
目の前にあるのは、
「そびえ立つ壁なのか。
それとも新たな世界へと続く扉なのか」
現状をどう捉えるかで未来は変わってきます。
「あなたたちも自分で乗り越える力があるんだよ」
ソサノオとオホナムチの生き様は僕たちにそう伝えてくれている、そんな気がしてなりません。
そして、、、いつも(出雲)共にある、と。
岩木山観光協会(岩木山神社のHPがないみたいなので)のHPのリンクはこちらになります。
ヒタカミのホツマ旅はこれで終わりです。お読みいただきありがとうございます。
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