かつみ

2016年9月に古代文献「ホツマツタヱ」に出会い、ホツマツタヱ研究家いときょう先生から…

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2016年9月に古代文献「ホツマツタヱ」に出会い、ホツマツタヱ研究家いときょう先生から学んでいます。noteではホツマツタヱから学んだことを中心に発信。大切にしていること。体験を通した学び。「こんな視点もあったんだ!」という発信。

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  • ヒタカミのホツマ旅

    この記事は2019年(令和元年)8月に青春18きっぷを使い、東京から仙台、秋田、青森を巡ったときの記録です。「ヒタカミ」とは古代東北地方の呼び名で、「ホツマ」とはホツマツタヱという古代文献の略です。

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ヒタカミのホツマ旅⑦~岩木山神社(出雲と津軽を繋ぐ神様)

この記事は2019年(令和元年)8月に青春18きっぷを使い、東京から仙台、秋田、青森を巡ったときの記録です。「ヒタカミ」とは古代東北地方の呼び名で、「ホツマ」とはホツマツタヱという古代文献の略です。 バイタリティ溢れる能力を発揮したオホナムチ出雲(島根県)から津軽(青森県)。距離にして約1,300km。古代、縄文と呼ばれる時代にこの2つの国を栄えさせたのがオホナムチです。 出雲を開いた父ソサノヲ(須佐之男命)。その跡を継ぎ、父にも劣らぬバイタリティを発揮したオホナムチ。し

    • ヒタカミのホツマ旅⑥~善知鳥神社(青森総鎮守社)

      この記事は2019年(令和元年)8月に青春18きっぷを使い、東京から仙台、秋田、青森を巡ったときの記録です。「ヒタカミ」とは古代東北地方の呼び名で、「ホツマ」とはホツマツタヱという古代文献の略です。 善知鳥神社にお祀りされている三姫三内丸山遺跡の次に訪れたのは善知鳥神社です。「えっ、なんて読むの?」って思いませんでした?僕は最初思いました。答えは善知鳥(うとう)。それにしても思いっきり当て字ですよね(笑)当て字って言葉遊びみたいで日本人の言葉に対するユニークな感性の表れだな

      • ヒタカミのホツマ旅⑤~三内丸山遺跡(約5900年~4200年前の縄文の大規模集落遺跡)

        この記事は2019年(令和元年)8月に青春18きっぷを使い、東京から仙台、秋田、青森を巡ったときの記録です。「ヒタカミ」とは古代東北地方の呼び名で、「ホツマ」とはホツマツタヱという古代文献の略です。 書物で繰り広げられる時代をリアルに体感する ホツマに初めて触れたときに驚いたのは「古事記や日本書紀で語られる神様が実在した人だった」ということ。神話の時代は縄文という実在した時代だった。すなわち、ご先祖様の物語だった、ということでした。そんな視点は今までもったことがなかったので

        • ヒタカミのホツマ旅④~唐松神社(神秘的な美しさに魅せられた天日宮)

          この記事は2019年(令和元年)8月に青春18きっぷを使い、東京から仙台、秋田、青森を巡ったときの記録です。「ヒタカミ」とは古代東北地方の呼び名で、「ホツマ」とはホツマツタヱという古代文献の略です。 ニギハヤヒの東北降臨を記す「物部文書」が伝わる唐松神社鹽竈神社を後にして、次に向かう予定だったのが唐松神社です。なぜここに行きたいかと思ったかというと、ここ唐松神社にはニギハヤヒノミコト(饒速日命)の東北降臨を記す「物部文書」なるものが伝わっていると知ったから。個人的にニギハヤ

        ヒタカミのホツマ旅⑦~岩木山神社(出雲と津軽を繋ぐ神様)

        • ヒタカミのホツマ旅⑥~善知鳥神社(青森総鎮守社)

        • ヒタカミのホツマ旅⑤~三内丸山遺跡(約5900年~4200年前の縄文の大規模集落遺跡)

        • ヒタカミのホツマ旅④~唐松神社(神秘的な美しさに魅せられた天日宮)

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        • ヒタカミのホツマ旅
          10本

        記事

          「江戸城鎮守の社」「江戸の総氏神」徳川家や江戸の人たちから崇敬された日枝神社へ

          日枝神社に行くはずが、思いがけず四谷の須賀神社に行くことになってしまいました。 でも、最初の目的地である日枝神社へは、やはり行きたい。時間もまだ大丈夫。須賀神社から日枝神社までは歩いて30分くらいで全然歩ける距離だし、今日は無性に歩きたい気分だったのです。ということで、歩いて日枝神社へ向かいました。 日枝神社で感じる心地よい静けさに包まれる感覚 そもそも、なぜここに行こうと思ったのかというと、前日、秋田の日吉神社(ヒタカミのホツマ旅・番外編)のことを書いていて、急に行っ

          「江戸城鎮守の社」「江戸の総氏神」徳川家や江戸の人たちから崇敬された日枝神社へ

          映画「君の名は。」ファンの聖地となっている四谷「須賀神社」へ

          ヒタカミのホツマ旅の続き、唐松神社の記事を書こうと思ったのですが、久しぶりに都内の神社を2社参拝したので、先にこちらをシェアしますね。 これ偶然じゃなく必然だったら?この日は父のお墓参りへ。せっかく天気もいいし、浅草から少し足をのばしてみました。なんだか無性に歩きたい気分でもあったので。 行先は赤坂にある日枝神社。だったのですが、、、なぜか四谷の須賀神社へ行くことに(笑) なぜそうなったのかというと、、、 浅草で父のお墓参りを終えて稲荷町から銀座線で赤坂見附へ。一応と

          映画「君の名は。」ファンの聖地となっている四谷「須賀神社」へ

          ヒタカミのホツマ旅(秋田・番外編3)~日吉神社

          この記事は2019年(令和元年)8月に青春18きっぷを使い、東京から仙台、秋田、青森を巡ったときの記録です。「ヒタカミ」とは古代東北地方の呼び名で、「ホツマ」とはホツマツタヱという古代文献の略です。 十七柱の神様をお祀りする日吉神社へ 三皇熊野神社の次に案内してもらったのが、日吉神社です。 日吉神社と言えば、総本社は滋賀県にある日吉大社。正確には日吉神社だけでなく、全国約3800社ある日吉・日枝・山王神社の総本社となっています。平安京の鬼門にあたり、鬼門除け、災難除けの

          ヒタカミのホツマ旅(秋田・番外編3)~日吉神社

          ヒタカミのホツマ旅(秋田・番外編2)~三皇熊野神社

          この記事は2019年(令和元年)8月に青春18きっぷを使い、東京から仙台、秋田、青森を巡ったときの記録です。「ヒタカミ」とは古代東北地方の呼び名で、「ホツマ」とはホツマツタヱという古代文献の略です。 三光(日・月・星)をお祀りする三皇熊野神社へ 太平山三吉神社総本宮の次に参拝したのが三皇熊野神社です。こちらは本宮(旧三皇神社)と里宮(旧熊野神社)があって、僕が案内してもらったのは本宮の方。 御祭神としてお祀りされているのは、主神が天照皇大神(あまてらすおおみかみ)、伊邪

          ヒタカミのホツマ旅(秋田・番外編2)~三皇熊野神社

          ヒタカミのホツマ旅(秋田・番外編1)~太平山三吉神社総本宮

          この記事は2019年(令和元年)8月に青春18きっぷを使い、東京から仙台、秋田、青森を巡ったときの記録です。「ヒタカミ」とは古代東北地方の呼び名で、「ホツマ」とはホツマツタヱという古代文献の略です。 予定外は必然?秋田で予定になかった神社を参拝することに、、、宮城県にある鹽竈神社の最寄り駅「本塩釜」から秋田にある唐松神社の最寄り駅「羽後境」までは約6時間。鹽竈神社で思いがけず長居をしたこともあり、予定していた時間をかなり過ぎていました。 「このままだとゆっくり参拝すること

          ヒタカミのホツマ旅(秋田・番外編1)~太平山三吉神社総本宮

          ヒタカミのホツマ旅③~鹽竈(しおがま)神社

          この記事は2019年(令和元年)8月に青春18きっぷを使い、東京から仙台、秋田、青森を巡ったときの記録です。「ヒタカミ」とは古代東北地方の呼び名で、「ホツマ」とはホツマツタヱという古代文献の略です。 陸奥国一之宮 鹽竈(しおがま)神社へ多賀城跡の次の目的地は鹽竈(しおがま)神社です。なぜ僕がここに行きたいと思ったかというと、、、 陸奥国一之宮であること、多賀城と深い関わりがあること、などが最もらしい理由として挙げられるのですが、「なんとなく行ってみたかった」という気持ちが

          ヒタカミのホツマ旅③~鹽竈(しおがま)神社

          ヒタカミのホツマ旅②~陸奥総社宮・壺の碑(つぼのいしぶみ)

          この記事は2019年(令和元年)8月に青春18きっぷを使い、東京から仙台、秋田、青森を巡ったときの記録です。「ヒタカミ」とは古代東北地方の呼び名で、「ホツマ」とはホツマツタヱという古代文献の略です。 陸奥国内100社の神様を合祀する陸奥総社宮へ多賀城跡を訪れるにあたって、もう一か所行ってみたいと思っていたのが、陸奥総社宮です。江戸時代には鹽竈神社の14ある末社の一つに数えられ「鹽竈神社を参拝する前には、まず陸奥総社宮へ」と言われていました。 多賀城跡から北東へ750メート

          ヒタカミのホツマ旅②~陸奥総社宮・壺の碑(つぼのいしぶみ)

          ヒタカミのホツマ旅①~多賀城跡

          この記事は2019年(令和元年)8月に青春18きっぷを使い、東京から仙台、秋田、青森を巡ったときの記録です。「ヒタカミ」とは古代東北地方の呼び名で、「ホツマ」とはホツマツタヱという古代文献の略です。 そもそも多賀城とは?ヒタカミのホツマ旅、最初の目的地は「多賀城跡」です。 多賀城跡は宮城県多賀城市にあります。最寄り駅は国府多賀城駅。 始発で東京を経ち、8回乗り換え、約9時間。新幹線や特急を使わない旅は確かに時間はかかりますが、道中をじっくりと味わうのもまた旅の醍醐味。

          ヒタカミのホツマ旅①~多賀城跡

          ホツマツタヱに記される古代東北地方「ヒタカミ」とは?(その四)

          前回の記事では、、、 ・伊勢神宮にお祀りされている豊受大神(とようけのおおかみ)について意外と詳しいことが分かっていないこと。 ・ホツマツタヱではトヨケカミと呼ばれ、イサナミ(伊弉冉尊・いざなみのみこと)の父であり、アマテルカミ(天照大御神)の祖父だったということ。 ・アマテルカミ(天照大御神)が皆から讃えられるアマカミ(指導者)となったのはトヨケカミの影響を大きく受けていること。 などについて書いていきました。 今回の記事では前回の内容を踏まえて、 「アマテルカミ

          ホツマツタヱに記される古代東北地方「ヒタカミ」とは?(その四)

          ホツマツタヱに記される古代東北地方「ヒタカミ」とは?(その参)

          前回の記事では、、、 ヲウミ(近江)を中心とする中央政府断絶の危機について書きました。 イサナギ(伊弉冉尊・イザナギノミコト)とイサナミ(伊弉冉尊・イザナミノミコト)が夫婦となり、7代目アマカミとなったこと。 それにより、トのミコト⇒タのミコトへ皇統が移り、新たな時代へと移ったこと。 そして中央政府を救うために、一連の出来事を統括していたのがヒタカミを統べるトヨケカミ(5代目タカミムスビ)だったということでしたね。 ということで今回から、いくつかの記事に分けて(お伝

          ホツマツタヱに記される古代東北地方「ヒタカミ」とは?(その参)

          ホツマツタヱに記される古代東北地方「ヒタカミ」とは?(その弐)

          前回の記事では、、、 「中央政府断絶の危機を救ったのは、ヒタカミ(東北地方)を治める5代目タカミムスビであるトヨケカミだった」というところまで書きました。 この記事では、 「中央政府断絶の危機とはどのようなものだったのか?」 「どのようにその危機を乗り越えたのか?」 ということについて詳しく書いていきますね。 国の秩序が乱れた6代目アマカミ オモタル・カシコネの時代とは?クニトコタチの八皇子のうち、ヲウミを中心とする中央政府を最終的に治めたのはトのミコトでした。 2代

          ホツマツタヱに記される古代東北地方「ヒタカミ」とは?(その弐)

          ホツマツタヱに記される古代東北地方「ヒタカミ」とは?(その壱)

          「古代東北地方=未開の地」はホント???この記事からいくつかの記事に分け、ヒタカミについて書いていきます。 ヒタカミとは古代東北地方一帯の呼び名のこと。 クニトコタチの八人の皇子の1人、タのミコトが向かった場所ですね。 「古代東北地方」と聞くと、どこか「蝦夷(えみし)=未開の地・野蛮人」というイメージってありません? 「ああ、そんなイメージあるかも」 と思った方もいるのではないかと。 僕は学校の授業でそう習ったからなのか(歴史嫌いだったのでよく覚えてませんが 笑)、

          ホツマツタヱに記される古代東北地方「ヒタカミ」とは?(その壱)