ヒタカミのホツマ旅④~唐松神社(神秘的な美しさに魅せられた天日宮)
この記事は2019年(令和元年)8月に青春18きっぷを使い、東京から仙台、秋田、青森を巡ったときの記録です。「ヒタカミ」とは古代東北地方の呼び名で、「ホツマ」とはホツマツタヱという古代文献の略です。
ニギハヤヒの東北降臨を記す「物部文書」が伝わる唐松神社
鹽竈神社を後にして、次に向かう予定だったのが唐松神社です。なぜここに行きたいかと思ったかというと、ここ唐松神社にはニギハヤヒノミコト(饒速日命)の東北降臨を記す「物部文書」なるものが伝わっていると知ったから。個人的にニギハヤヒノミコトに興味があるというのも大きな理由です。というのも、ニギハヤヒノミコトは書物で記されている以上にスケールが大きい存在だと感じているからです。
予定変更、秋田で急遽参拝することになった三社の神社
鹽竈神社で思わず長居をしたこともあり、唐松神社は翌日の朝一で行くことになりました。この日に泊めてくれた秋田市にいる従姉弟(いとこ)夫妻が車で連れて行ってくれることになったのです。
この日は急遽、秋田市周辺の神社を三社も行くことになりました。いとこ夫妻が「まだ時間あるから」と案内してくれたのです。いとこ夫妻は神社にあまり興味がないみたいでしたが、神社を巡るのが好きな僕のために。ありがたいですね。
厳粛な雰囲気を感じた唐松神社
翌朝、いとこ夫妻に車を出してもらい唐松神社へ。到着したのが午前7時半頃。いとこ夫妻にお礼を伝え、鳥居の前で少し佇んでいました。以前から気になっていた唐松神社。その前にいま自分がいるという嬉しさと不思議な気持ちをじんわりと感じていました。
「失礼します」と一礼して鳥居をくぐり、ゆっくりと進みます。
入ってすぐのところで立派な狛犬たちが出迎えてくれます。
二の鳥居をくぐり、杉並木が続く参道を歩きます。推定樹齢100年から300年の杉が80本以上並んでいて、秋田県の天然記念物に指定されています。
朝早いこともあり、境内には誰もいません。少し張りつめたような、ピリッとした感じというのでしょうか。厳粛な雰囲気を感じながらゆっくりと歩いていました。
参道の右側にも像らしきものがあるので行ってみます。
凄く躍動感、インパクトある龍の像があって、思わず左右からも写真を撮ってしまいました。
唐松神社の境内には唐松神社と唐松山天日宮(からまつさんあまつひのみや)、いくつかの末社があります。
唐松神社は古くから子宝・安産祈願の神社として尊崇されてきました。
◎唐松神社の御祭神
・息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと)
・迦具土神(かぐつちのかみ)
・豊宇気姫命(とようけびめのかみ)
・高皇魂命(たかみむすびのみこと)
・神皇魂命(かみむすびのみこと)
一方、唐松山天日宮(からまつさんあまつひのみや)は物部家ゆかりの神様をお祀りする神社。
◎唐松山天日宮(からまつさんあまつひのみや)の御祭神
・饒速日命(にぎはやひのみこと)
・登美夜毘売命(とみやびめのみこと)
・玉鉾神(たまほこのかみ)
・愛子神(あいこのかみ)
唐松山天日宮(からまつさんあまつひのみや)は、唐松神社拝殿へと続く参道の途中、左側にありますが、
まずは唐松神社から参拝しようと参道をそのまま進みます。
唐松神社の拝殿へ
三の鳥居の前には、これまた迫力ある狛犬たちがいます。
三の鳥居をくぐり、
手水舎で手と口を清めます。
灯篭にも躍動感ある龍が刻まれています。
四の鳥居をくぐ、「んっ!?」、、、左側に「奉納 三の鳥居」と書いてある。確かに四つ目だけど、、、もしかして二番目の石の鳥居は数えないのかもしれませんね。
ここから拝殿に行くまで左右にいくつかの末社があります。
と、唐松神社の拝殿に到着しました。
唐松神社の拝殿です。創建は982年(天元5年)。
「唐松山」と書かれた神額を見上げながら深呼吸。過去それなりにたくさんの神社を参拝してきましたが、ここ唐松神社は、今まで参拝した神社にはない雰囲気がありました。心が引き締まるような、厳粛ともいえる感覚を感じていたからです(もちろん、人それぞれ感じ方は違うでしょうが)。
唐松山天日宮(からまつさんあまつひのみや)へ
参道を戻り、唐松山天日宮(からまつさんあまつひのみや)へと向かいます。
一礼して中へ入り、
少し離れたところから社殿を眺めます。
創建は1680年(延宝8年)。現在の社殿は1914年(大正3年)に再建されたものです。庭園が完成したのは1932年(昭和7年)で、石垣は講中や崇拝者から奉納された天然石から造られています。
日本の神社の中でこれほど特異な形式で建てられているお社はないんじゃないだろうか。お社を中心に同心円状に広がり、敷き詰められた天然石は数十万個はあるという。人工的に造ったものでありながら、自然な美しさとエネルギーを放っている。
写真で見たときから印象深かったけど、こうして直接眺めていると、やはり来てよかったと感慨深いものがありました。
秋田物部氏に伝わる「物部文書」はまだ一部しか公開されていないようです。唐松神社で千数百年に渡って受け継がれてきた貴重な文書には果たして何が書かれているのでしょうか。
「一般的に偽書である」とも言われていますが、僕はこの「一般的に」という部分はあまり当てにしていません。「一般的に」という言葉は専門家ではない僕たちのような人を、さもそうであるかのように納得させるのに簡単で効果的な影響を及ぼすものでもあるからです。
もちろん本当であるかどうかも分かりませんが、歴史は視点によって正義にも悪にもなるもの。慎重に、公平に判断したいものだと思っています。
「物部文書」によると、饒速日命(にぎはやひのみこと)は鳥見山(鳥海山)に降臨して、日殿山(唐松岳)に日の宮を建てたという。この唐松岳は唐松神社の元宮があるところです。
古事記、日本書紀、先代旧事本紀、そして物部文書でも、ニギハヤヒノミコトは、いろいろな在り方で表現されています。
ホツマには、ニギハヤヒがアマテルカミ(天照大御神)から「アマテラス ニギハヤヒキミ」という名を授かったと記されています。
とにもかくにも、いろいろな人の興味関心を惹きつける魅力がある存在であることは間違いないようですね。
この神額に書かれた「天日宮(あまつひのみや)」という文字に込められた意味が改めて深いものだと感じました。
こちらの拝殿の裏には「授かる」「吉縁子安」「安産」の願いを叶えるという三つの御神体があります。
左から、抱石男石(授かる)、玉鉾石(吉縁子安)、女石(安産)です。
お参りの仕方は男性と女性で異なります。まず天日宮の拝殿正面で願いを唱えながら裏に回りますが、男性は右回りで玉鉾石に触り、女性は左回りで抱石男石、玉鉾石に触る。これを3回繰り返します。
参拝を終え、改めて周囲を見渡しながら歩きました。
ここ唐松山天日宮は拝殿を中心に同心円で広がっています。チョット視点を真上に置いてみる。それはまるで、中心に座す「天日宮(太陽)」の光が同心円(あまねく、分け隔てなく)に広がっているようにも感じました。
ホツマで例えるなら、根本精神である「トの教え(指導者が私心なく国や民のために尽くすこと)」が同心円(あまねく、分け隔てなく)に広がっているかのように。
神秘的で壮大なエネルギーを感じていました。
名残惜しくもありましたが、神社を後にして最寄り駅である羽後境駅へ向かいました。ここから大館駅へと向かい、大舘にいる従兄弟(いとこ)と合流して三内丸山遺跡を目指します。
感じるところがたくさんあった唐松神社。もし訪れる機会がある方は、ぜひ時間をかけてゆっくり回ってみられることをオススメします。
神社のHPがないようですので大仙市観光物産協会の「唐松神社」のページのリンクを張り付けさせていただきました。
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