ホツマツタヱに記される古代東北地方「ヒタカミ」とは?(その参)
前回の記事では、、、
ヲウミ(近江)を中心とする中央政府断絶の危機について書きました。
イサナギ(伊弉冉尊・イザナギノミコト)とイサナミ(伊弉冉尊・イザナミノミコト)が夫婦となり、7代目アマカミとなったこと。
それにより、トのミコト⇒タのミコトへ皇統が移り、新たな時代へと移ったこと。
そして中央政府を救うために、一連の出来事を統括していたのがヒタカミを統べるトヨケカミ(5代目タカミムスビ)だったということでしたね。
ということで今回から、いくつかの記事に分けて(お伝えしたいことがたくさんあるので)トヨケカミにスポットを当てていきますね。
意外と謎が多い豊受大神(とようけのおおかみ)
トヨケカミは伊勢神宮の外宮にお祀りされている豊受大神(とようけのおおかみ)のことです。実は古事記、日本書紀では詳しいことは分からないんですよね。古事記はチョットだけ登場しますが、日本書紀には登場すらしないので。
伊勢神宮の外宮にお祀りされているほどの神様なのに、なぜ???
でも、ホツマツタヱを紐解くとトヨケカミ(豊受大神)の人物像を知る手がかりとなります。
僕がホツマツタヱを通して感じるトヨケカミ(豊受大神)は知恵と高い精神性、人望を兼ね備えた賢者のような存在。
最近ハマっている(ようやく?笑)スター・ウォーズに例えると、生ける伝説と称されるジェダイ・マスターのヨーダを思い浮かべますね。容貌じゃないですよ(笑)あの悟ったような精神性の高さ、穏やかで澄み渡った空気のような雰囲気が、です。
この記事を読むことで、古事記、日本書紀では分からないトヨケカミ(豊受大神)の人物像やアマテルカミ(天照大御神)との関係性などを知ることができます。ピンときた方は読んでみてくださいね。
トヨケカミ(豊受大神)はアマテルカミ(天照大御神)の祖父だった?
トヨケカミ(豊受大神)を語る上で重要な人物となるのがアマテルカミです。皆さんがよく知っている呼び方だと天照大御神ですね。
天照大御神といえば、、、日本の神様の中では超メジャーですよね。太陽神、女神、伊勢神宮、皇祖神など、いくつかのキーワードが思い浮かぶのではないかと。
なぜトヨケカミを語る上でアマテルカミが重要なのかというと、アマテルカミが皆から讃えられるアマカミ(指導者)となったことにトヨケカミが深く関わっているからです。
ちなみに天照大御神がどのように誕生したのかってご存知ですか?
意外と有名なエピソードなので、何となくでも知っている方は結構いるのではないでしょうか。
一応、ご存じない方のために簡単にご説明しますね。
伊弉諾尊(イザナギノミコト)は、亡くなった伊弉冉尊(イザナミノミコト)に会うために黄泉の国へ行き、戻ってきた後、黄泉の国の穢れを祓うために禊ぎをします。すると、、、
左目を洗うと天照大御神(アマテラスオオミカミ)が、
右目を洗うと月読命(ツキヨミノミコト)が、
鼻を洗うと素戔嗚尊(スサノオノミコト)が誕生するのです。
この記述、古事記、日本書紀の両方に載ってますが、実は日本書紀には別の表現でこの誕生の様子が書かれているのです。チョット興味深い(?)表現なのでご紹介しますね。
伊弉諾尊(イザナギノミコト)が、
左手に白銅の鏡を持つと、それが天照大御神となり(生まれ)、
右手に白銅の鏡を持つと、それが月読神がとなり(生まれ)、
と、次が素戔嗚尊なんですけどね。チョット分かりづらい表現なんです。
「又廻首顧眄之間則有化神、是謂素戔嗚尊」
これ原文なんですけど、パッと見ただけで、、、???という感じになりませんか?(笑)
特に分かりづらいのが顧眄之間の箇所。
「顧眄之間」
※顧は「ふりかえってみる。かえり見る」の意。
※眄は「かえりみる。流し目で見る」の意。
※顧眄(こべん)で「ふりかえって見る」の意。
そのまま訳すと「ふりかえってみる間に」という感じでしょうか。
全文そのまま訳してみると、
「又廻首顧眄之間則有化神、是謂素戔嗚尊」
「また、首を廻してふりかえってみる間に神と化し(神が生まれ)、これ素戔嗚尊という」という感じでしょうか。
・天照大御神・月読命⇒白銅の鏡が神と化した
・素戔嗚尊⇒首を廻してふりかえってみる間に神と化した
う~ん、この違いはなにを意味するのでしょう?
天照大御神と月読命は白銅の鏡を持つというしっかりとした意図から生まれ、一方、素戔嗚尊は意図がないのにいつの間にか生まれたという感じでしょうか?「あれっ、いつの間に???」みたいな(笑)
チョット長々と書いちゃいましたが、こんな感じで古事記も日本書紀も原文は漢文形式で書かれています。当時どのように読まれていたのかは分かってないんですよね。原文(漢文)をどう解釈するかで意味やニュアンスも変わっちゃうんです。
以前の記事でツラツラと書きましたが、、、
まさに視点の違いで解釈が変わってしまういい例かもしれません。
神話ゆえに抽象的に書かれているので分かりづらいという面もあります。古代の感覚と現代の感覚の違いもあるので。とはいえ、分かりづらいなあというのは正直なところですね(笑)
古事記と日本書紀では伊弉諾尊(イザナギノミコト)によって天照大御神ら三柱の神々が生まれたことになってます。これは「神話だから」で成り立つ話ですよね。「人間みたいに男女で子どもを作るのとは違うから」という解釈のもと。
一方、ホツマツタヱではイサナギ(伊弉諾尊)とイサナミ(伊弉冉尊)の子どもとして誕生しています。ホツマツタヱでは実在した人として描かれているので。
と、いうことはです。イサナミ(伊弉冉尊)の父がトヨケカミ(豊受大神)なので、アマテルカミ(天照大御神)はトヨケカミ(豊受大神)の孫ということになります。
伊勢神宮の外宮には豊受大神が、内宮には天照大御神がお祀りされていますよね?
伊勢神宮では外宮から先にお参りするとなっています。なぜそうなっているのかというと、豊受大神が天照大御神の食事を司る神様だからなのだそうです。先に神饌(しんせん)というお食事をお供えしてお祭りすることを「外宮先祭(げぐうせんさい)」と呼んでいます。それに倣って外宮から先にお参りするのが習わしなのだそうです。
もちろん、これはこれで否定するつもりはありません。
ただ、ホツマツタヱではトヨケカミ(豊受大神)はアマテルカミ(天照大御神)の祖父となっています。それだけではなく、アマテルカミは祖父であるトヨケカミを非常に尊敬していました。
それこそアマテルカミが生まれるときに尽力したのが外ならぬトヨケカミでもあったからです。
僕がホツマツタヱを通してトヨケカミとアマテルカミについて感じること。それは単なる祖父と孫という血縁の関係だけでなく、もっと強い結びつきです。尊敬と信頼。パッと浮かぶのはこの言葉ですが、日本という国を統べるお二人にしか分からないこと(責任や覚悟)がきっとあったのだろうと思います。
そのお二人が伊勢神宮に一緒にお祀りされているということ。トヨケカミがお祀りされている外宮から先に参拝するということ。それは何より、アマテルカミ(天照大御神)がトヨケカミ(豊受大神)を祖父として、指導者として、心より尊敬していたことへの表れではないかと。
古事記と日本書紀のお話が思ったより長くなってしまったので(笑)、続きは次の記事にて「実際にホツマツタヱにどのようなエピソードとして記されているのか?」ということを詳しく書いていきますね。
ではでは、最後までお読みいただきありがとうございました!
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