311 から12年、今 見えてきたこと
干支が一回りして、今年は東日本大震災の年と、
同じ卯年なんですね。
12年は長かったような、短かったような不思議な感覚です。
この時期になると、
「震災のとき、自分はなにをしていた?」
と毎年、誰かに話す機会があります。
そのとき私は、仕事で来客の対応をしていました。
ビルの揺れと恐怖で気分が悪くなりながらも、
お客さまを非難させることを最優先に、
近所の学校の校庭に非難しました。
会社のメンバーとお客さまと一緒に
周りにそびえ建つビルがゆらゆら揺れている様子
を見ながら、のちのち事の重大さに気づくこと
になります。
* * *
震災発生時から、会社はBCP(事業継続計画)
のもと、お客さま対応、社員の安否確認、
社屋・支社の状況把握に追われてんてこ舞いでした。
幹部、管理職、またお客さまと直に進行形で
仕事をしている社員(エンジニア)、
BCP担当者は、自分の家族や自分自身よりも、
会社の存続(生き残り)を第一優先
にせざるを得ない状況でした。
社員たちが個人的に胸に秘めている不安や恐怖を
公の前では決して口には出しません。
緊急地震速報のアラームが
耳に残り記憶がフラッシュバックして
仕事に集中できない。
余震が続き耐震が心配なビル内で
仕事をするのが怖いから、自宅にいたい。
実家の親や、親せき、離れた兄弟が気になるし、
また自分もすごく心配されているから、
有休を取っていったん故郷に帰りたい。
身重の奥さんと小さな子どもが不安定
になっているから、なるべく傍にいてやりたい。
私も含め、みんなのホンネはBCP(事業継続計画)
よりも大切な人を第一優先にしたい、でした。
* * *
これをいつも呪文のように唱えながら、
自分をなんとか奮い立たせて職場に向かっていました。
今すぐ、大切な人や家族のもとに
飛んで帰りたい、傍にいたい気持ちを抑えて、
組織のために各々が自己犠牲をしている様子を見て
社会や組織の存続のお陰で生活することできる
ありがたい気持ちと同時に、
誰もがいざというときには、
一番大切な人を最優先できない
歯がゆさを感じていました。
一番大切な人を、
いつなんどき最優先できるとも限らない
なんらかの事情で、
大切な人の死に目に駆けつけられなかったり、
窮地のときに傍にいてあげれないときだってありうる。
コロナだってそうです。
実家にしばらく帰れなかった人
病院での面会が叶わなかった人
親しい友人にずっと会えずにいた人
大切な人の傍にいたくてもいれない事態が起こりました。
だから大切な人とは、
平常なときほど、触れ合う時間をとっていきたい
という意識に変わりました。
緊急事態なときほど、第一優先にできるとも限らないから。
311は、大切な人を大切にする日にしたい。
大切な人と、ステキな週末を ♪
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?