大切なものは、極少でいい。
私たちは、日々 闘って生きています。
いったい何のために?
大切なものを守り抜くため
自分にとってかけがえのないものを
傷つけられたり、奪われたり、
不幸にしないためだったら、
私たちは、世の中の理不尽なこと、辛い仕事、
不自由な環境、次々起こる問題、自分自身
とさえ闘うことができてしまう。
なぜなら、大切なものが自分と同等か、
それ以上の存在であり、
最悪それを失なってしまう恐怖心
が、私たちの戦意を掻き立て、
闘いの場にドンと押し出してくれるから。
でもその闘いが休む間もなく長丁場になったり、
激戦となってしまったら、
たちまち精神も体力も持続できずに、
途中で私は壊れてしまうことでしょう。
きっと、守るべきもの( = 大切なもの)が
あればあるほど、心身ともにボロボロに
傷ついて、それでも逃げずに勝ち抜いた暁には、
英雄として賞賛されるかもしれません。
◇ ◇ ◇
私は英雄にならなくていい、
ただ幸せに生きたい
大切なものっていろいろありますよね。
例えば、
自分、家族(子ども、配偶者、兄弟、親、親戚)、恋人、友達、パートナー、健康、お金、仕事、ビジネス、趣味、ペット、住居、不動産、車、高級ブランド、地位、名誉、名声、思い出、キャリア、実績・評価、売上・利益、価値 etc…
たくさんの大切なものを持っていて、
それを命をかけて守り抜く人生って
カッコいいなと思います。
経営者やリーダーとか、家族の大黒柱とか…
でも私は、自分の性格からして、
多くの大切なものを持てないタイプです。
人と比較しても、私は大切なものが
少ない方だと思います。自分のキャパと相談し、
優先順位をつけて、大切なものを絞ってき
ました。あきらめもありましたね。
大切なものが少ない(失うものが少ない)、
または大切なものが多くてもそれに執着せずに、
サラリと生きている人の生き方に憧れがあります。
大切なものがない人生は、
たしかに味気ないものです。
でも、自分にちょうどいいくらいの大切なもの
でいいかなとも思っています。
自分の身の丈に合うくらいの
大切なものの量だったら、
失う恐怖と守り抜くために闘う時間も
少なくなると思うのです。
こういうのって、世間からは、
”器が小さい人” ”度胸がない人" と
言われてしまうのでしょうか。
たしかに、
私は器が小さく、度胸がない人だと思います。
それは強く思います。
なぜなら、
大切なものを増やすことにすごく
慎重だからです。
私は猫を飼うか、飼わないかを長い間
迷っていました(今でもかな)。
そんなことでずっと迷うか? そう思いますよね。
たかが猫ごときなのですが、されど猫なわけで。
以前飼っていた猫たちの死の悲しみを
未だに引きずっています。未練たらたらです。
またあの時のように、
大切なものを失った苦しみをもう
味わいたくない。
だから、今のところ飼わない選択をしています。
生前、猫たちは事故で足を悪くしたり、
ガンを患って体調を何度も崩したり、
寿命まで生き抜いていけるよう家族みんなで
闘い愛情を注ぎました。
◇ ◇ ◇
大切なものが多いからといって、
幸せだとも限らない。
もちろん喜びもあるけれど、
そのぶん苦労も多く、失う悲しみも大きい。
私は、喪失感がものすごく怖いのです。
だから、これ以上大切なものは増やさない。
今のところですが。
もし将来、それを引き受ける強さと責任が
自分にしっかり備わってきたら、
私は大切なものを1つ、また1つとゆっくり
増やしていくことでしょう。
それまでに、まずは
今の自分のままで幸せになるために、
自分の器の大きさにいちいち優劣・善悪をつけず
大切なことは極少にして(取捨選択をして)
今ある大切なもの一つひとつに丁寧に
向き合っていく、
そんな生き方をしてきたいと思います。
これが、ビビリな私の生き方。
生きるのがラクです。
だから自分にとっての「正解」で
いいのかなと思っています。