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もう”成長”しなくてもいい
趣味のピアノ演奏。練習は毎日しているけど、ここ最近どうも熱が入らない。理由はいたってシンプルで、なんだか楽しくないのです。
ピアノは趣味だから、誰からも強制されるわけでもなく、演奏のクオリティーを求められているわけでもない。発表会や演奏会で人前で弾く予定もないから変なプレッシャーもない。そして、ピアノに飽きているわけでもない。
じゃー、なんでピアノ楽しくないの?
上達しないから
ということは、私はピアノの上達が快感だからピアノが好きだということか?上達を感じられなかったらピアノは好きじゃなくなるの?私がピアノが好きな理由って、そんなんじゃない気がする・・・
やっぱり私はピアノを奏でる時の音色が大好きだ。
上達するかどうかは二の次だ。
いろいろと考えているうちに、なんで私はピアノが楽しくなくなったのか、本当の理由がわかってきました。
ピアノの上達という名の
右肩上がりの「成長」を追いかけていたから
右肩上がりの成長で思い出すのが、
以前所属していた会社は、毎年「成長」を前提とする強気の売上予算(前年度比20%アップ)が、年度初めに全管理職に言い渡されていました。なにを根拠にこの成長率? 経営層のむちゃ振りが過ぎますってば!
「現状維持でも大変なのになぁ~」と、常々思っていました。しかし、現状維持 = ヤル気なし、向上心なし、退化のレッテルを貼られてしまうので、社内では暗黙の了解で誰も異議申し立てはしません。ただみんなの「もう無理ゲー過ぎる~」の心の叫びは空中で響き合っていました(笑)
そもそも、なんで企業も人も成長し続けないとダメなんでしょうか?
昨日より今日、今日より明日とより良くなるのは素晴らしいことかもしれない。でも、昨日も今日も明日も同じ現状維持ではダメでしょうか?それが、幸せだったとしても。
※ ※ ※
私は、その右肩上がりの成長曲線を、
仕事だけでなく、そのまんまあらゆる場面で取り入れてしまっていたのでした。
今回のピアノでハッと気づきました。
2ケ月前と比べて上達が遅く、未だに同じところでミスタッチする。目に見えた「成長=上達」を感じない。だからダメだと。
いつの間にかピアノの目的が「成長=上達」になっていたのです。ピアノを奏でる楽しさや、音色を味わうことが本来のピアノの目的だったはず。
もちろん、上達を感じた時はとっても嬉しいし、また明日も練習頑張ろう!とヤル気にもなります。が、上達よりもピアノそのものを楽しむことを忘れたくないと気づいたのです。
ずっと長い間、自分の好きなことをやり続けている人というのは、きっとその行為自体を楽しんでいる、味わっていると思うのです。楽しくやってきた結果、「成長=上達」しているのではないでしょうか。
現状維持でも、スランプ状態でも、どんな状態でもピアノを好きでいられる自分でいたいと思ったのでした。
そしてピアノだけでなく、
人生のあらゆることの楽しみ方をもっと知りたい。
そして楽しみ方のバリエーションを増やしていき、楽しみ上手になりたい。
これを極めたとしたら、私は人生の達人になれちゃいそう!
これが私にとっての「成長」なのかもしれないな。