見出し画像

あと何時間ありますか?時間という名の「命」



この肉体を借り物の器だとして、
この器に私という「魂」が入っています。

思考や、感情、気
という見えないものも確かにあります。

全部ひっくるめて「私」です。


人間としてこの地球に生を受けてから、数十年が経過したようです。

その数十年が、脳に保存され無意識のうちに
そのメモリーから検索され
日常の雑多な出来事への判断や、
重要な未来への決断をしています。

今は、脳より優秀なPCやスマホに記憶されているので
脳のメモリーをアップデートしなくても良いのかもしれません( ;∀;)

脳にしても、スマホにしても
その記憶(メモリー)から関連した情報を提示してくるわけで、、、、

現実で体験したことなら脳が記憶しているし、
検索したことがあればスマホのメモリーの入っていて
関連情報が常に提示される。


なんて便利なんだろう。


なんて不思議なんだろう。


なんて不自由何だろう。


なんて不健康なんだろう。

と、
時系列を追って感じたことです。

そうなんです。
実に、いまは「なんて不健康なんだろう」と感じてます。

不健康と言えば・・・・
「寿命と健康寿命」が思い浮かんでしまいます。
たぶん職業的な理由(笑)


日本人の統計では
平均寿命と健康寿命には大きな差があります。
約10年を「病気」と共に病院のベッドで過ごすそうです。

これって哀しくて虚しくて、切なくなりませんか?

祖父と祖母は病床で最期の数年間を過ごしました。
その当時、私たち家族は毎日お見舞いに行き、
何とも言えない切ない気持ちを抱えていたことは記憶に新しいです。

今、両親が80代に突入しましたが、おかげさまで
健康です。


ただ、いつ何があってもおかしくない年齢になったことは
事実です。


そんな両親と2年前から暮らし始めた私は、
確かに両親の最期を一緒に過ごす覚悟です。


何気なくかわす朝の挨拶も
食卓を囲む時間も
同じ屋根の下にいるという気配も
感じることが出来るのは、あと何時間何だろう。

時々、「腰が痛い」「めまいがする」「疲れた」
と言葉にすることも増えてきました。

一方で
言葉にはしないけど、感じ取れる「弱さ」が
時間の経過を私に教えてくれます。

私は、今アラフィフです。
あと何年、何十年この命が続くのでしょう?


両親を見て、自分事に置き換えたら・・・・そういう風に考えずにはいられません。


もちろん!
今世の終わりはあるのは百も承知なのですが

「残りの何十年をどう過ごすか?」
あらためて考えたときに
何をチョイスするにしても「健康」はマストだと思いました。


そのためには
努力も必要かもしれません。


心とカラダの健康が基盤にあった上でなければ
環境や仲間や経済の充足を測れないと思うのです。


皆さまはいかがお考えですか?


私が言うまでもなく、
時間(命)は、有限です。


今こそ「健康」について、真摯に自分と向き合うことは
どなたの人生に於いても有意義であり
必須な課題だと思っています。

健全で正しい判断や行動は、健全な肉体の上に成り立っています。

私自身も、今後も更に
アップデートしていきたいと思います。


引き続き、
よろしくお願いします!(^^)!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?