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なぜアメリカの会社は勢いがあるのか?  群れる時代からバラける時代へ

僕は、日本とアメリカの大手の製薬会社で、それぞれ10年間以上働いた。働いた時代が異なるので公平な比較はできない。たが、2つの会社の勢いには、大きな違いを感じた。

僕がかつて所属した日本の製薬会社は、100年近い歴史のある老舗の製薬会社。社会に出た1991年から2005年まで14年間働いた。12年間は日本で、最後の2年間は出向先のアメリカで働いた。一方アメリカの会社は、40年ほど前に、ガレージから出発したベンチャーからの成り上がりビッグファーマ。2010年から2021年まで11年間働いた。

僕がそのアメリカの会社に入社した2010年時点の売上高では、アメリカの会社と日本の会社で、大きな差はなかった。世界ランキングで2社はどっこいどっこいだった。一方、純利益は、日本の会社の方が3倍ほど高かった。アメリカの会社は、攻めの姿勢で研究開発費に、人材にと金をつぎ込む。だから、売上高には差がないのに、純利益は日本の会社の3分の1しかない。将来への貯えより、今やれることをどんどんやろうとする狩猟民族型経営だ。日本の会社は、純利益をしっかり確保し、将来を見据え、余力を蓄えた健全な経営をしようとする。貯え重視の農耕民族型経営だ。そのアメリカの会社に入社した時に驚いたのは、製品の数の少なさだ。日本の製薬会社は、どこも相当数の製品を市場に出している。すべてを足せば100以上の製品を保有することになる。一方、アメリカの会社は2010年当時、6個か7個の新薬製品しかなかった。製品が少ないので、ひとつコケたら、そのインパクトはデカい。会社が簡単に傾く危うさはある。しかし、裏返せば一つ一つの製品がインパクトのあるブロックバスターだということだ。

そして、僕はそのアメリカの会社で10年以上働いた。2023年の時点で、もう一度これら2つの会社を比較した。差は明らかになっていた。日本の会社の売上高は、この10数年の間、横ばいだった。一方、アメリカの会社の売上高は、ほぼ倍増し、2社の差は倍以上になっていた。日本の会社の純利益は10年間で減ってしまった。アメリカの会社の純利益は順調に増加した。それでも純利益だけを比較すると、この2社はほぼ同じだった。10年間で2倍以上売上高をたたき出すように成長しても、アメリカの会社の純利益は、2分の1の売上高しかない日本の会社と同じだ。アメリカの会社は攻めの姿勢を崩さず、研究開発費に、人件費にと金の投入を惜しまない。僕が過ごした10年間の間に、いくつもの新薬を市場に出し、製品数も倍増した。僕がたまたま入社した2つの会社だけの経験で、日本とアメリカの会社を比較するのは乱暴すぎる。でも、勢いの差はまざまざと体感した。


日本とアメリカのプロジェクトチームの違いを衝撃的に経験したことがある。まだ、僕が日本の製薬会社に所属し、そこからアメリカ支社へ出向していた時のことだ。日本のプロジェクトチームメンバーだった頃の気分が抜けないままアメリカチームのメンバーとして、新薬のグローバル研究・開発に関わっていた。ある時、チームの結束を図るため、アメリカチームでオフサイトミーティングを行うことになった。わざわざアメリカ支社のある町から車で1時間もドライブした田舎の森の中にある綺麗なホテルを2泊3日で借り切って行うことになった。オフサイトミーティングには、日本とヨーロッパのプロジェクトチームリーダーもゲストとして招待された。オフサイトミーティング会場で、久しぶりに日本のプロジェクトチームリーダーに会うと、彼女は不機嫌そうだった。日本人の僕は、彼女が不機嫌な理由が分かった。「どうしてアメリカチームは、会社から遠く離れた不便なホテルをわざわざ借り切って、こんなミーティングを開催するのか? 会社内で通常の仕事として十分できることではないか? こんなことに金を使うことに意味があるのか?」 そう言いたげだった。

実際のオフサイトミーティングが始まっても、日本のプロジェクトリーダーは批判的だった。「日本のプロジェクトチームは、アメリカチームよりずっと成熟しております。メンバー一人一人が、それぞれの役割をしっかり把握しており、このようなオフサイトミーティングをやらなくても、プロジェクトは順調に進められます」 彼女の発言を聞いて、日本の状況をイメージしてみた僕は(確かにその通りかなぁ)と共感した。アメリカチームメンバーの数名は、少々苦笑していた。

日本にいた頃のプロジェクトチームを思い返してみる。確かに、メンバーひとり一人はとても優秀だ。プロジェクトリーダーがいちいち細かい指示を出さなくても、各メンバーは自分の役割をしっかり把握している。任務を的確にこなす。約束を守る。期限通りに完了する。仕事は緻密で回りをビックリさせるような暴走はしない。ミスを避けるため、回りと緻密な報連相を取りながら慎重に任務を進める。いちいちチームビルディングのようなことをやらずとも、常識として、各個人が自分の任務を進め、プロジェクト全体も進んでいく。やりやすい。

アメリカチームにはぶっ飛んだ奴がいっぱいいる。十分な背景知識もないのに、堂々と別のメンバーの専門領域に侵入してきて、偉そうに注文を付ける。不必要にプロジェクトをかき混ぜ、混乱を招く。かと思えば、当然やってくれるだろうと思う当人の専門領域の任務をやらない。ひどい時は、やれる能力や経験がない。約束を簡単に破る。忘れる。全く悪びれずに開き直る。「それ、お前の方が知ってなきゃダメだろう!」というようなことを、堂々と聞いてきたりする。すぐにクビになる者、去って行く者もいる。はちゃめちゃだ。日本の仕事のやり方の常識が全く通じない。日本の常識で全て捉えていたらフラストレーションたまりまくりだ! 放っておいたら、チームなんてまとまらない。だから、オフサイトミーティングでも開いて、チームチャーターを作る。しっかりとそれぞれの役割、回りとの関係を確認し合って、ようやくチームワークが成り立つ。アメリカでは、会社の中でプロジェクトが立ち上がった際に、プロジェクトごとにチームの結束を促すためのグッズが作られ、メンバーに配られる。先日もオフィスに出社すると、新たなプロジェクトの名前の入ったスポーツボトル水筒が机の上に置いてあった。家には、これまで関わったプロジェクトの名前の入ったジャケット、毛布、マグカップ、訳の分からない置物などがある。日本人の僕は「何で金かけてこんな使うか使わないか分かんないような物を作るんだ!」と思ってしまう。でも、放っておいたら好き勝手なことばかりやるバラけたぶっ飛んだ奴らばかりなので、チームワークを意識するために、チームの象徴が必要なのだ。

そして、日本とアメリカのプロジェクトチームをそれぞれ経験して、体感した勢いを振り返ってみた時、圧倒的な差を感じた。ぶっ飛んだハチャメチャなアメリカチームが、爆発的な勢いを持っていた。プロジェクトだから、日本でもアメリカでも、成功する時もあれば、失敗する時もある。でも、成功しても、失敗しても、アメリカチームには勢いを感じる。チームの中にいると熱量を感じる。自分も熱くなれる。自然と熱くなる。その源泉は、主体性、多様性、楽観性だ。

時代が変わった。より優れた製品を、効率的に作ればよかった時代、まとまった均一な着実に一歩一歩進む日本型チームは威力を発揮した。考え方も、育った環境も文化も均質な者同士が群れることで、誰もが一方向を向いた強力なチームを作ることができた。まとまりやすい。脱線することも少ない。最初に決めた目標に向かって一糸乱れずに、ミスを避けながら着々と進めば、それに見合った見返りが期待できた。

そんな時代は終わった。誰もが、優れた製品を効率よく作れるようになった今、ぶっ飛んだユニークな発想が必要だ。群れる時代からバラける時代に変わった。ぶっ飛んだ奴がいることで、チームに波風が立つ。プロジェクトに劇薬が注入される。副作用は大きい。副作用が大きすぎて、つぶれて失敗することもある。でも、劇薬がうまく効いてハマった時には、大化けする。最初に掲げたゴールから外れたって、今そっちがよいと思うなら、ゴール自体を変えてしまえばよい。繰り返すが、大事なのは、主体性、多様性、楽観性だ。
1. これは俺のプロジェクトだ! 俺の仕事だ! 回りから、上からの目を気にせず、自分の考え・意見を自由に言え、それを行動を移せる主体性
2. 理解し難い、ぶっ飛んだ奴、変態をも受け入れる、そして自分も周りからそう思われることを恐れない多様性
3. 合わなかったら、去ればいい、逃げたっていい、飽きたら次に移っていい。失敗したって、次があると思える楽観性
これらを安全に発揮できない環境とはおさらばする。これらを安全に発揮できる環境を見つけて、そこに自分を置く。そしてそれ以上に大切なのは、自分が、これらを大事にすると決めるマインドセットだ。

日本人はそんな時代には、とても弱い人種だ。そんな日本人の中でも、僕自身は特に内向的で個性のない日本人だ。っと思っていた。もともと均一で個性の少ない日本人は、群がって均質なチームワークを作り、一丸となった推進力を発揮することが強みだった。そんな日本人が、バラけてしまったら、日本人の強みがなくなってしまう。っと思っていた。

ところが、アメリカに来て、自分自身がマイノリティになった。すると、アメリカ人から見たら、自分自身がぶっ飛んだ存在だった。日本の常識は、世界の非常識。日本では当然できて当たり前のことが、奴らから見ると、すごいことができる変態人間に映る。

そんでもって、もう一度考えてみる。「日本人って本当に均一か?」 
そんなことはない‼ 実は、みんな、めちゃめちゃ個性的だ。ひとりひとり全然違う。勝手に日本の社会環境、職場環境が、群がって均質的なチームワークで働く方向に仕向けてしまっているだけだ。そして、それ以上に、たくさんの日本人が、勝手に自分自身に、自分には個性が無く、均質なチームの中で群がってしか力を発揮していけないと思い込ませているだけだ。僕自身がそうだった。

そんな日本でも、たくさんの会社が、たくさんの個人が気づき始めた。時代とともにマインドセットを変えることの大切さを。英語が母国語で、様々な人種が集まってくるアメリカは、多様性の面では、圧倒的に優位だ。島国、日本で、圧倒的に日本人ばかりの中で、多様性を発揮することは、一見、とても不利に思える。でも、ぶっ飛んだ時代は、一見不利に見えることが、強力な武器にもなり得る時代だ。ユニークに個性的な日本人が、群れるのではなく、バラけることで、不利を、ユニークな武器に大化けさせることができるかもしれない。群がる時代からバラける時代に移り、日本が、日本人がどう変わっていくか? 楽しみだ。


#仕事での気づき

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