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大和民族は機会を認識するのか?〜帰化1世議員と英利アルフィヤの当選及びオルズグル〜

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【機会】

(儒教系統の認識)
大和民族は機会それ自体を認識していない。

言い換えると、大和民族は機会という概念を持っていない。だから、彼らは帰化1世が立候補する機会を潰そうとしない。帰化1世が立候補するとき、彼らはその候補者をひたすら叩いて、なんとかしようとする。

サッカーで例えると、大和民族は選手がシュートをゴール付近で打つ機会をいつまでも潰そうとしない。ある選手がシュート体制に入ると、彼らはその選手を妨害しようとする。シュートが外れると、彼らはホッとする。シュートがゴールに入ると、彼らはもう終わりだと言って、残念がる。

上記は英利アルフィヤにも言える。大和民族は帰化1世が統治者になる機会をそもそも潰そうとしない。英利アルフィヤが2回立候補したことは、彼女がゴール付近で打つ機会を2回持ったことである。1回の機会では、彼女はボールをシュートしたが、彼女はそのシュートを外した。大和民族はホッとした。

しかし、大和民族は、1回目のシュートの後、彼らは英利アルフィヤがシュートを打つ機会を潰そうとしなかった。つまり、彼らは帰化1世の立候補を禁じるシステムを作ろうとしなかった。

その結果、英利アルフィヤは2回目のシュートを1回目の同じように打った。大和民族は彼女のシュートを必死に妨害したが、彼女は2回目のシュートを決めた。すると、大和民族は本はもう終わりだと言って、残念がった。

本来であれば、愛国者は英利アルフィヤが1回目のシュートを打つ機会をそもそも潰すべきであった。しかし、彼らは英利アルフィヤのシュートを妨害するだけであってきた。

【損得感情の欠如】

(儒教系統の認識)
大和民族は損得を認識していない。

そのため、大和民族は帰化1世の立候補の機会を潰すようなシステムを形成するのでなく、彼らは英利アルフィヤを侮辱することを選ぶ。前者は名誉毀損にならないが、後者はなる可能性がある。

もし大和民族が帰化1世の立候補の機会を悪いと判断するならば、彼らは英利アルフィヤを侮辱するのでなく、そのようなシステムを淡々と作れば良い。しかし、彼らは英利アルフィヤを侮辱するが、彼らはシステムを形成しない。その結果、アルフィヤ以外の帰化1世が立候補し続ける事になる。

システムの形成は英利アルフィヤに対する侮辱にも名誉毀損にもならないので、本来であれば、大和民族は帰化1世の立候補に反対すると言って、システムを堂々と設計していけば良い。しかし、彼らはそのシステムの形成を侮辱?か何かと感じるが、アルフィヤへの侮辱は侮辱でないと感じるように見える。

システム形成は侮辱でない一方、アルフィヤをアルファイヤと集団で呼ぶことは侮辱になる可能性がある。大和民族はシステムの形成を恐れて、侮辱を恐れない。普通に考えれば、逆である。

たとえアルフィヤが帰化1の立候補を禁じるシステムを形成した主体を訴えるとしても、その訴えは認められない可能性がある。実際、その主体はアルフィヤという個人を嫌っているから、そのシステムを形成しているわけでない。システムは任意の帰化1世に適用される。

一方で、彼女をアルファイヤとバカにしている主体は名誉毀損で訴えられる可能性があり、かつその訴えは認められる可能性がある。普通に考えれば、まともな損得感情を持っていれば、侮辱をせずに、システムを設計するべきである。しかし、大和民族は損得を認識していないので、システム設計をせずに、彼らは失礼な発言を繰り返す。

【未来予想】

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