河野太郎のコオロギ食の推進について
以下では、筆者は上記に呟きに関する違和感を提示する。結論から言って、河野の発言は無視されるべきである。それが嫌であるならば、彼は自己の宗教を表現するべきである。また、侮辱や中傷、官僚や部下を怒鳴ることを控えるべきである。
河野太郎は「"すべて"悪意あるフェイクニュース」と言ってるが、彼はすべての発言を読んでいないだろう。彼の呟き自体が嘘や欺きである。正確には、「コウロギ食に関する誤情報(デマ)が確認されている」が事実である。
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【宗教】
(儒教系統の思考規範)
もし河野太郎が自己の宗教を表現しないならば、コウロギ食の推進に関する疑いはそれほど不自然でない。
疑われたくないならば、河野太郎は宗教を表現するべきである。彼は自己の宗教を表現したくないが、彼はコウロギ食の推進を疑われたくないと言っている。これは単なるワガママである。
河野太郎の言っていることは、インドの統治者が自己の宗教を表現しないが、牛肉を推進するつもりはないと言っているようなものである。無宗教の統治者がインドの食に関係すれば、ヒンドゥー教徒がその統治者を牛肉を食わされるかもと疑うのは自然である。
無宗教の統治者とは、彼らの民に何を食わせるのかがわからない人物である。なぜなら、その統治者は食に関する規範や規律を持っていない。河野太郎がノリや雰囲気で、コウロギを彼の民に食わせても、それほど不思議ではないだろう。
食に関する規範の欠如のために、無宗教の母がありえないものを子供に食わせる可能性があるように。無宗教の母は何を子供に食わせるのかがわからないので、怖いと感じるのは自然な感情である。
【異民族】
(儒教系統の認識)
河野太郎は異民族であり、大和民族を憎悪している可能性がある。
だから、河野太郎がコウロギ食を大和民族に食わせようとしていてもおかしくないだろう。これは大和民族がコウロギ食をアイヌ人や琉球人に食わせようとしているようなものである。
実際、河野太郎は大和民族を不利にさせるようなことを繰り返し話している。例えば、河野談話やアルフィヤ、新しい日本人、日本人はいらないと取れるような発言、移民、女系天皇、二重国籍、大和民族を排外主義やネトウヨと侮辱する。
この種の行為は彼自身が異民族であるからであるように思える。河野太郎自身が大和民族でないので、大和民族が絶滅してもどうでも良いと考えているように見える。この種の考えを取られると、河野がコオロギ食を推進しているという情報が流れるのはそれほど不思議でない。
【デマは悪いのか?】
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